2021年11月27日

平成噴火を巡る

部屋の窓から日の出を眺めてから出発。まずは雲仙岳災害記念館へ。平成の噴火がらみの中核施設で、有料部分は大人1050円。ただ、入場料取るのはここくらいだし、中身もしっかりしてるので割高感はない。さすがに30年たつと地元の人も冷静に振り返ることができるのか、当時の話をいろいろしてくれる。東北の地震とかはまだきついんだろうけど。福徳岡ノ場の軽石が早速展示されるなど、フットワークも軽くてよい。
展望台から普賢岳を望む。中央が平成新山。右は「島原大変」の眉山。崩落後もさすがに植生が進んでいる。土石流はこの辺りまで流れてきたらしい(扇状地になってるってことは噴火したら流れてくるに決まってるんだけど、、、)。
消防殉職者慰霊碑の前には噴火時に大活躍したヘリと装甲車が展示されていますが、塗装がだいぶくたびれてきてるなあ。
土石流被災家屋保存公園。普賢岳というと死者行方不明者43人の1990/6/3の火砕流が有名なんだけど(というか、それしか知らん)、実際にはその後ももっと大規模な火砕流が発生したし、雨が降ると土石流が発生して海まで流れ下った(最後の土石流は2000/3/31)。ということでその痕跡。これ、埋もれてるのもだけど、土砂の上に普通に生活が再建されていて、すぐ横にビニールハウスが並んでいるのがなかなかシュール。人間っていいな。
旧大野木場小学校被災校舎。ここは皆さん避難した後で火砕流にやられたのだが、火砕流の本隊は谷筋に沿って右にそれたものの、そのまま直進してきた熱風で焼失。という形なので建物は残っています。校舎の左に大野木場砂防みらい館(国交省の普賢岳監視所)、その間から普賢岳が見えています。
校庭にある銀杏の木。左は被災後に植えられたのもだが、右は戦前に植えられ、火砕流で黒焦げになって枯れたものと思ってたのにまた芽が出てきた、というもの。こういう話っていいよね。
火砕流本隊が流れていった右手の谷筋では大規模な砂防工事が行われていました。
平成新山ネイチャーセンターからの平成新山。施設横に立派なサイクルスタンドがあって、こんなとこまで登ってくるの、と思ったら有名なヒルクライムコースらしいです。
まゆやまロードの展望所からの平成新山。こうしてみるとやはり不自然な形で、地震とかなんかの拍子に崩れてきてもおかしくないよねえ。やっぱ大変だわ。
原城址へ。二の丸から本丸を望む。ここは火砕流の堆積面なんですが、噴火元は雲仙ではなく阿蘇山。有明海の向こうに見えるのが肥後ですが、阿蘇は遠いよねえ。まあ、この国に住んでる以上あれこれ心配しても仕方ないよね。
建物は当然残っていないが、古い慰霊碑とかも結構あって、やはり大勢が死んだところでやばい土地だという認識だったんですかね。
本丸から普賢岳を望む。今は一面畑になっています。この後、本来は半島の南端まで行く予定だったんだけど時間が押してて断念。有馬キリシタン遺産記念館から
原山支石墓群(道がわかんなくて往生しました)、
諏訪の池、を経て本日のお宿、小浜温泉春陽館へ。
部屋の窓から日没を眺めて一日終了。ほんとに天気が良くって助かりました。

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