2010年9月13日

大島

芸術祭の舞台は7つの島(と両岸の港)だが、その中でも大島は異質の島だ。ここは島全体が国立療養所大島青松園の敷地で、一般の住民はいない。

青松園の歴史は明治40年の「ライ予防法ニ関スル件」に遡る。全国に5ヶ所の療養所を設置することが定められ、明治42年4月に「第4区療養所」として発足した。療養所とは言うものの、明治44年に小林和三郎博士が所長となるまでは警察官僚が所長を務め、実態は収容施設だったようだ。らいはハンセン病に名前が変わり、治療法も確立されたものの、らい予防法が廃止されたのは平成8年。以後、患者から入所者へと呼称が変わったもののいまだに多くの方がこの島で生活している。かっては家族への偏見を避けるために患者の戸籍は抹消されることも多かったらしく、帰る場所のない人も多数いるのだ(もちろん治療上の問題もあるようだけど)。丘の上の八角形の納骨堂には多くの患者(入所者)が眠り、今も壁の一面は存命中の入所者のために空けてあるという。

最初に訪問するのが大島というのは、かなり風変わりなコース設定だと思うが、芸術祭でもなければまず訪れない島である。島を巡るのに2時間かかるというのに55分しか滞在しない日程(海上で船にトラブルが発生しさらに短くなった)だったが、とりあえず療養所が見れたから満足です。
順番が違うが、女木島の展望台から見た大島(左側の島)、右は四国で奥は小豆島になる。

道に引かれた白線は視力障害者のためのガイドライン。ハンセン病は末梢神経障害と皮膚症状が主となる疾患で、角膜炎から失明する人も多い。点字ブロックを使わないのは(知覚が傷害されているため)地面の凸凹を感知できず、単に転倒の原因となるだけだかららしい。
交差点ではスピーカーから音楽が流れる。これも道案内のための工夫。
園内の公衆電話。ユニバーサルデザインですね。
メインの展示施設「ギャラリー15」。正面に置かれているのは海から引き上げられた古い解剖台。
この台で何をやってたのかについては、きちんとした記録がないらしい。おおかた、記録を燃やすしかないような際どい研究が行われていたんでしょう。
奥の右の島が男木島、左が女木島。海はきれいなんだけど、近代の流人たちはどんな想いでこの海を眺めたんだろうねえ。視力が保たれてればの話だけど。

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