2012年7月30日

帰路へ

セスナから降りると、そそくさと車に乗り込み帰路に着く。のだが、まずは先ほど上空から見た観測塔へ。鉄骨むき出しで、上では風もそれなりに強い。こわごわ登っていく。
観測塔の上(高さ20mほど)から見た「手」。距離が近いのもあって、思ったよりよく見えます。
こちらは「木」。昔は地上絵の中に入り放題だったので、道路の近くは荒れ放題です。とりあえず、体を張って地上絵を守ったライへ女史に感謝しないとなあ。
上から見える「線」は表面の石をどけて地肌が見えるようにしただけなので、こんな感じ。
地上から見ると(道路わきで荒れてるせいもあるけど)なんのこっちゃ、ですね。

さて、この時点では意識が「ちゃんと飛行機に間に合うんかな」の方にいってて、ちゃんと写真撮ってませんね。そもそも塔の写真がない。どこにでも転がってるから別に困りはしないけど、もっと余裕がないとダメだよなあ。帰りは、昼食は車内でお弁当、みたいな話もあったけど、高速のパーキングの食堂で食べました。テイクアウトだけどね。でも、ここはすっごくワイルドなお寿司がカウンターに並んでたし、時間がないから運転手さんとも卓を囲んだし、食べたパン(特にアスパラのエンパナーダ)は絶品だったんだけど、これも写真がない。うーみゅ。その後も、運転手さん1人だと持たないからミゲルさんもハンドル握ったし、リマに入ると金曜の夜で激しく渋滞してるし、こっちはかなりはらはらしてたんだけど、終わってみればほぼ見込みどおりの時間に空港入りできました。さすがにプロの計算は確かだわ。チェックインしてマクドナルドで夕食をとって(だって適当なお店がないんだもん)日程終了。お疲れさまでした。

2012年7月29日

空へ

10時半になって急に建物の中が騒がしくなってきた。11時を目処に飛行機を飛ばすらしい。慌しくレクチャーを受け、形だけの手荷物検査を受け(重量削減のため荷物はあらかた車の中だから、調べるものがない)、搭乗口へ。しばし順番待ちの後、歩いて滑走路に出る。
飛行機の中から撮ったターミナルビル(平屋だけど)。左に見える黄色い階段は出口で、その左の白いスロープの奥が搭乗口。
こちらがお世話になった飛行機。ここでは一番小さな機体。4人乗りである。
前にパイロット2人、後にわしら2人が乗り込む。イメージ的には360cc時代の軽自動車のキャビンである。これはテンション上がります。ベルトを締め、ヘッドホンをかぶると、エンジンがうなりを上げいざ出発。
先ほど見た枯れ川(と畑)の上空を通過し、
ナスカ平原へ。全体ではこういう水路跡が目立って、地上絵って教えてもらわないとなかなか見えてこない。パンアメリカン・ハイウェイを作ったときに航空測量までしたのに地上絵は発見されなかった、と言う話は最初「なんでやねん」と思ったけど、実際に飛んでみると、真面目に仕事してたら気がつかないような気がしてきた。たぶん、わしには無理。
遊覧コースもいろいろあるのだろうが、今回は30分のフライトで14箇所の地上絵を回った。代表的なものを供覧。まずは宇宙飛行士。これは地上絵と言っても岩山に彫りこんである。
サル
ハチドリ
クモ
コンドル、お土産を買うときにはハチドリと間違えやすいので注意。
パンアメリカン・ハイウェイとライへ女史が建てた観測塔。ここには手、木、トカゲと3つの地上絵があるが、トカゲは消えかかっている。
パンアメリカン・ハイウェイの料金所。空港での時間待ちの間に先に観測塔に行けばいいのに、と思ったけど、それをやったら通行料が2回余計にかかるからダメなんだろうな、たぶん。ちなみに、セスナの巡航速度は高速を走る車の速度より多少速いくらいでした。
気がついたらもう空港が見えてきました。
着陸の頃にはすっかり晴れてました。お疲れさま。

実は遊覧飛行にはあまり期待してなかったんですわ。窓越しに見てもテレビで見るのと同じだろう、って。だからクスコに残るべきだったかなあと思ったんだけど、いざ乗ってみるとこれは面白かった。 もちろん、雲が出ているから3段階ある飛行高度のうち一番下を飛んだので地上絵がよく見えた、のもあるけど、とにかくセスナそのものが異質な体験でした。こんな小さな飛行機に乗る機会はもう無いかと思います。キャビンが小さいから反対側の景色もよく見えたし、なにより「飛んでる」感が半端ない。得がたい体験でした。でもまあ、カッパドキアの気球には負けるかな。

2012年7月28日

毎日暑いねえ

大出雲展 @京都国立博物館
ウォルト・ディズニー展 @美術館「えき」KYOTO
アートピーポーマッピン @堀川御池ギャラリー
こころをあらわす 線・色・形 @堂本印象美術館

今日は夕方から所用もあったのでこんなものですが、この暑さだとさすがに堪えます。 家でオリンピック見てた方がいいのかね?

2012年7月27日

ご近所の古墳めぐり

京都は8世紀末に都になったわけだが、太秦界隈はそれ以前から秦氏の根拠地として栄えており古い寺社も多い。で、当然ながら古墳もたくさんあるのだが、普段は特に意識するでもなく過ごしている。まあ、京都の見所といわれて古墳を挙げるのはありえんわな。それが先日の嵯峨芸博物館の展示を見て、近所の代表的な古墳くらいは見ておくべきだろう、ということになった。目玉の蛇塚は事前に申し込みをすれば石室の中に入れるらしい。本来は個人の受付はしていないようだが、そこはまあなんとか話が通って無事に休みもとれてツアーに出発。
まずは天塚古墳。三菱自動車京都工場の北側の住宅地にありますが、アクセスルートがわからず苦労しました。ここは古墳そのものが稲荷神社の境内になっています。全長70mの前方後円墳で、石室が2ヶ所あるのが特徴、だとか。
こちらは西側くびれ部の石室。内部には稲荷神が祭られています。
石室側から外を見た図。それなりに手が加えられている印象でした。
こちらが目玉商品の蛇塚古墳。もともとは全長75mの前方後円墳だったが、墳丘は早くから失われ残っているのは石室のみ。とはいえ、玄室の大きさは6.8m×3.9m、全国第4位の規模を誇る。それが普通に住宅地の中に現れるんだから、これはちょっとすごい体験ですわね。

倒壊の危険があるため施錠されているのですが、鍵を開けてもらって石室内部へ。


内部は想像以上に広いし、石材も大きい。天井石がなくなっているので明るいが、いったいどんな石が据えられていたのやら。

石の間に結構な大きさの木が生えています。タプロームみたい。日本もほっとくと密林になっちゃうよねえ。しかし、ほんの近所にこんなものがあるのはアメージング。
こちらは甲塚。元は38mの円墳だそうですが、ちょっと小さくなっていますね。
ここもお稲荷様が祭られているようでした。
石室内部。中に入れないので柵の外から撮影。
このあと、稲荷古墳(遍照寺の北西)の前を通って嵯峨七ツ塚古墳群へ。見慣れた嵯峨野の田園風景だが、このこんもりとした小山の数々が古墳。全然気がつかないでスルーしてるよなあ。
北嵯峨高校周辺には大覚寺古墳群と呼ばれる4つの古墳がある。そのうち、南天塚古墳はグランドの下に埋められており、狐塚古墳は場所がよくわからず見学を断念。高校の北西にある円山古墳(周濠つきの円墳で全長50m、宮内庁管理で見学不可)を廻ってから、高校の東南側の入道塚古墳へ。
ここも封土が流失して石室が露出しています。こちらも宮内庁管理なので中には入れず。

他にも古墳はたくさんあるのですが、さすがに暑くて断念。家に帰ってシャワー浴びて昼寝しました。何も真夏に回らなくてもいいのになあ。

2012年7月26日

ナスカ

翌朝、9時までホテルで待機していたが、待ってるだけではどうにもならないので出発。まずは地下水路を見に行く。
ごらんの状況。ちょっとセスナが飛べそうな感じではない。
地下水路はナスカ文化の時代に造られたもの。砂漠地帯のナスカで文明が栄えたのはこの水路の賜物。
水路上に換気口が並ぶ。もちろん、単純に換気のためだけではなく、取水口でもあり、水路の保守のための進入路でもあった。
だもんで、らせん状に換気口まで降りていくことができる。
かっては観光客もトンネル内に入れたそうだが、さすがに立ち入り禁止となった。
さて、地下水路と聞いて、旧世界のカレーズのようにアンデスの山々から延々トンネルを掘ったのかと思ったのだが、実はそうではない。ごらんの枯れ川(2、3年に1度くらいは水が流れることもあるらしい)の河底を流れている地下水脈を取り出しているのだ。もともとは普通に川が流れていて農耕が行われていた地域で、徐々に水位が低下していき、利用できる水を求めてこのような形になったのであろう。ちょっとがっかりだが、必要もないのに大工事をすることはないわな。

それにしても、昼間からふくろうがうろついてるようでは困ったものだよね。

あまり代わり映えのしない天気だが、いつまでも待ってても仕方ないので、腹をくくってナスカ空港へ向かう。
こちらがターミナル・ビル? セスナしか飛ばないんだからこんなものか。
ごらんのような飛行機が多数並んでいます。当面はどうしようもなさそうなので、屋台で買い物をしたりして時間をつぶす。帰国便のチェックインタイムを考えると、12時にはここを出ないと間に合わない。いらいら半分、ここまで来て飛ばなかったらそれはそれで一級品のネタになるな、という達観が半分。観光案内のビデオなど見ながら、静かに時が過ぎていく。

2012年7月25日

ナスカ・ライン

ナスカ・ラインは今回の旅で一番上等なホテル。なのだが、あまりいい思い出はない。なんといっても問題は天候。ナスカに着いた時(すっかり日は暮れていた)は満天の星空だったが、天気予報はやはりよくない。とりあえず食事、なのだが、ヨメがお腹を壊してしまい、鳥の丸焼きの予定が汁物に変更。少しでも明日の待ち時間を減らすために事前に航空会社のオフィスでチェックイン(パスポートのチェックと体重測定、セスナだからねえ)。宿に戻ってからもドライヤーが壊れてるし、夜が更けると共に雲が増えてきて、朝にはすっかり曇り空。飛行機は、、、飛ぶのか?
部屋にいても落ち着かないので、ホテル内をうろうろ。
ここはナスカの母、マリア・ライヘが常宿にしていたホテルで、彼女の部屋は今でもそのまま保存されている。はずだが、見てないからよくわかりません。
あちこちの壁面に地上絵やナスカ文化の土器をモチーフにした飾り付けがなされている。
ロビーのソファまで地上絵柄でした。