2016年8月4日

ポプジカへ

金曜日は朝から雨になりました。
路面状況はさらに悪化。当初は「ブータンの道もずいぶんよくなったねえ」とか言ってたのですが、このあたりまでくると前と一緒です。ブムタンへと続く東西幹線は2018年を目標に改良工事を行っているのですが、リンチェンさんによると「2020年くらいにずれ込むのでは」とのこと。
なにもインドだけが工事をしているわけではなく、ちゃんとJICAも仕事をしています。チュゾムサでは今年から再来年までの予定で橋の架け替え中。
こちらはドライバーのカルマさんの実家。ブータンでは土地財産は末の女子が継ぐので、家を出ていくのは男の方。それにしても、こんな私的なネタをきちんと解説するのも国が小さいからなのかねえ。恋人の家に挨拶に行ったらいかにも名所旧跡のような体で昔通ってた小学校とかに案内された、みたいなノリですな。もちろん嫌いじゃないけど。
どこに道があるのかわからないけど、山腹にいきなり段々畑と家屋が現れます。ブータンはこの週までが夏休みで、学校に帰る子供たち(国土が山がちなので寄宿している子が多い)をよく見かけましたが、路傍でタクシーを待っていた母子は向いの山から谷を渡ってきた(下にちっちゃな橋があるらしい)そうな。お母さんはここまでで、娘を見送ったらまた戻るらしいけど、足腰丈夫だよねえ。
牛糞はどこにでも転がっていますが、キノコは珍しい。

ドライバー仲間だからか実家が近いので幼馴染なのかわかんないけど、車が通るたびにカルマさんと何やら話をしていました。
こちらは畑の中にある監視小屋。夜間動物が入ってこないよう寝ずの番をする(と言いながら寝てることもあるらしいけど)そうです。これはだいたいおじいちゃんの仕事なんだとか。大変だよねえ。

大麻は規制対象だそうですが、野放しですね。

こりゃあ雨が降ったら崩れるよねえ。
路面から谷底にかけても土砂が流れた形跡を認めます。
地道に工事はしてますが、安定するまではだいぶかかりそうです。

途中のノブディンの町。

小さなマーケットが出ています。実はこの日のホームステイ先はカルマさんの(女子相続なので奥さんのお母さんの)家で、電話で注文を取っていろいろ買いこんでいました。

野菜天をいただきました。唐辛子は危険だけど、他はおいしかった。

東西幹線から離れてラワラ峠(標高が高いのでお花畑)を越えると、
いよいよポプジカに到着。先ほどまでの深い谷と違って氷河によると思われる緩やかな谷に緑の草原が広がり(この季節は草原というより湿地帯ですけどね)、牛や馬が草を食んでいます。いきなりハイジの世界になっちゃいました。

2016年8月3日

ウォンディフォダン

峠を越えると路面状況は一段と悪化。とはいえ、この日は天気も良かったので大きな問題とはならず。
道端にちょっとしたマーケットが出現。
よくある祠。ルンタ(経文布)がかけられ、ツァツァが並んでいます。ブータンでは輪廻転生が信じられており、なんでも「四十九日を過ぎるともう転生してる(のでそれ以降は追悼してもしょうがない)」そうで、お墓などはありません。火葬した後の灰はどうなるかというと、土に練り込んで108個の小さな仏塔(これがツァツァ)を作り、聖地などに置いていきます。時がたつと土に還るシステム。
なんでここに祠があるのかというと、聖水が出るってんですね。ペットボトル持ってじっと待ってる人がいる一方、体を洗う人もいるわけで、聖水をの付き合い方も様々。
結果的にここまで天気が良かったのはこの日だけでした。
ロベサ着。奥のポールのある交差点を奥に行くとティンプー、手前がウォンディフォダン、右に行くとプナカで、交通の要衝です。そうはいっても何もないところだったのですが、近くでダムの建設工事が始まり労働者が大量に流入し、ちょっとしたバブルになっているんだとか。
この店の看板は見覚えあるんだけど、昔の写真を見ても確認できませんでした。
唐辛子のシーズンはまだ先だけど、盛大干してるお店も。
野菜の種類は結構豊富です。昔は唐辛子しかなかったイメージだけど、これはさすがにイメージだけだと思います。前の時はもろ唐辛子のシーズンだったからなあ。
ウォンディフォダンの新市街。ここは門前町として栄えたんだけど、ゾンの火事で街も焼けて上流側に移転しました。なんせこの辺り一帯がバブルなので、移転もサクサク進んだんだとか。
で、こちらがウォンディフォダンのゾン。なかなか攻めにくそうなところに建っています。よく見ると城内に重機の姿が。
この辺りにはウチワサボテンがたくさん自生しています。一説には城の守りを固めるため斜面に植えたのが増えた、とか。
2泊目の宿、ペマ・カルポ。新市街からさらに上流の川べりに立地。プールまであったのはちょっとびっくり。
アーチェリーはお約束
庭にマンゴーが植えられていました。サボテンといい、南国ムードが漂います。前の晩は部屋に入るなりオイルヒーターのお世話になりましたが、この日は一晩中天井の扇風機のお世話になりました。ほんと着るものには悩みます。
ロビー、現国王夫妻。
こちらは歴代の王様の写真。
部屋も明るくていい感じです。テレビもあるし(ほぼインドの衛星放送)、WiFiもあります(遅いけど)。
食堂
ここには日本人の団体さんもいました(ハには西遊さんの個人?客がいたけど)。以前は対岸のドラゴンズ・ネストが日本発ツアーの定番だったそうですが、このホテルができてからはこちらが主力だとか。

2016年8月2日

ドチュラ

ティンプー市街には入らず、そのままドチュラ峠を越えてウォンディフォダンを目指す。この区間の道路状況だが、2車線道路への路盤の拡幅はほぼ終わっているが、舗装は一部で終わっているだけ。旧来の舗装が残っているところが大半で、中には引っぺがして未舗装路になっている部分も。
まあ、(例によってインド人が)ちゃんと仕事してるけどね。こういう部分ではこっちが走るのはダートです。
ドチュラ峠着。雲の中です。ここには2004年にインド反政府ゲリラ基地掃討作戦の勝利を記念してドゥルック・ワンゲル・チョルテンが建てられました。ドゥルック・ワンゲルは「ドゥク派(ブータン)の勝利」の意味で、身も蓋もないですな。年に1回戦勝記念のお祭りもやってるとか。
こちらも新しくできたカフェテリア。昔の峠の茶屋とはえらい違い。


パスタが出てきたのにはびっくり。味の方はお世辞にもほめられませんけどね。
ずらりと並ぶチョルテンは全部で108あるとか。


ネズミがたくさんいました。よく見ると地面にはあちこち穴が開いてます。
こちらは向いのチョルテン。こちらは昔からあったんじゃないかな(未確認ですが)。
中央には大きなチョルテンが建っています。

屋根に草が生えてるあたり、いろいろ心配になってきますけどねえ。

2016年8月1日

チュゾムからティンプーへ

ハからチュゾムへ向かう道路は狭いもののきちんと舗装されていてなかなか快適でした。ただ、雲の中を走ってたので対岸など見えずちょっと残念。左は本線から分岐する農道?で、時々こういったところに車を止めて青空トイレとなります(道の駅とかいった洒落たものはないので)。
ゼンマイはブータンでも山菜として食されているようです。

標高が下がってくると雲の下に出てきました。リンゴ畑でピクニックの人たち。
山肌に段々畑が広がります。
ドブジ・ゾン。ブータンでも最初期のゾン(15世紀築)で、各地のゾンの原型になったとされています(その頃の建物がそのまま残っているわけではないようですが)。ここはかって死刑囚の刑務所として使われ、囚人を崖から突き落としたりしてたそうですが、現在は寺院として使われています。
チュゾム。チュはは川、ゾムは集まるという意味で、ティンプー川とパロ川の合流点。川が集まるだけでなく、(合流後の)ワン川に架かる橋からティンプー、パロ、ハ、プンフォリン(インド国境にあるブータン第二の都市)へと道が延びる交通の要衝です。雨期なので川の水も多いのですが、しばらく前に上流側から車が転落したとのことで捜索隊がたくさん出ていました。リンチェンさんによると「車がまだ少ないから衝突事故は少ないけど、道が良くなってスピードを出すし、飲酒運転も多いので自損事故が増えた」とのこと。
ティンプーが近づくと道端にフルーツ(など)のお店が並びます。
チュゾムからティンプーへの道はアジアハイウェイ規格。時々土砂崩れの工事をしてたりしますが、かってのブータンからは信じられないくらい快適です。前の時は「これじゃ離合できないじゃん」といった細くてガードレールもない道が続くものの、実際には対向車なんかほとんど来ないから大丈夫、といった感じだったんだよねえ。現在、この道をインドまで伸ばす工事を行っています。
この辺りまでくると段々畑ではなく棚田が広がっています。
ティンプーが近づくとちょっと雰囲気が変わってきます。
突然中央分離帯まである4車線道路に。旧道は奥の山腹を走っていて、ティンプーが目の前になってから橋を渡ってたんだけど、田んぼの中にバイパスができて道に沿って街が南に拡大してきた、ようです。人口も急速に増えて10万人ほどになったとか。
お山には大仏までできてました。