2010年8月30日

おまけ・国立博物館

どこの国でも首都の国立博物館は気合が入っていて楽しい。今回は解説付きで仏教美術の名品を鑑賞、のはずだったが、時間が足りず(石像にほぼ絞ったのに)尻切れトンボに。でもまあ、さすがにいいものが無造作に並んでいます。昔行ったマトゥラーの博物館みたいに、仏像が床に転がってたりしないだけマシか。当然のことながらヒンディー美術が中心なので、写真もアーモンド目のクリシュナとかがメインです。
















よかったよかった

2010年8月29日

京都藝術2010 シンポジウム

まず、わくわく京都は今週は小学校全体での展示となっており、質量共にパワーアップしてました。廃校という場にもうまく嵌ってたと思います。ただ、もっとごちゃらんとしてた方がよかったなあ。期間も短いし、撤収しやすいようにしておかないとまずいから、細部までのつくり込みが難しいのはわかるんだけど、ちょっと残念。キャバクラも笑えたけど、一番面白かったのは中庭の金網の球体(作家名は初めから見てない)かな。

で、トークショー。前半のアーティストトークも面白かったけど、主催者側の思いとゲストの思いが噛み合わないし、先日の蹴上でのトークと 被る話もあったし、正直もうひとつでした。でも、後半のギャラリスト等のトークはかなり楽しめました。まあ、作家さんは割と簡単に他所に移って仕事が出来るから、必ずしもその土地に思い入れはいらないけど(土地に根ざした制作をする人もいますけど、それはまた別の話)、ギャラリーは一旦店を出しちゃったら当分はそこで勝負するしかないわけで、その場所に店を構えることの意味を最初から考えてるのが当然だわね。若干無理な姿勢で聞いてたのであちこち痛んだけど、(パネラーも多いんだし)もう少し時間があればなあと感じました。ただ、レセプションに来てくれと言われてもちょっとなあ。仕事絡みのパーティですら知らない人としゃべるのがうっとうしいから、ちゃちゃっとメシ食って帰ることがあるってのに。

矢部真知己展「~海中空間~巨大アクアリウム」

奥の白っぽい作品はすごく気に入ったのだが、あとはちょっとうるさすぎに感じた。疲れてるのかなあ(いや、確かに疲れてるけど)。そういえば、ニュートロンは比較的高頻度に「作家さんのお知り合いですか?」と尋ねられるので、それもちょっと疲れます。

古代メキシコ・オルメカ文明展

メソアメリカの展示では結局一番見ごたえがあるのは拓本だったりするのだが、ここもやはりレリーフの拓本が面白い。あと、「会議に集まる人々」。入り口のオルメカ・ヘッドに「これは複製です、本物は1F入り口にあります」とか書いてあって、普通は逆だろ、と思ってもう一度1Fで見て納得。重すぎて4Fまで運ぶのは無理だったのね。あと、話題のマヤ暦の終末問題だけど、大晦日になったからってすぐ正月が来るだけで、世界が滅んだりしないと思うんだけどなあ。

2010年8月28日

龍門藍・桝本佳子展「Mélange」

展示されてた作品も良かったけど、桝本さんのポートフォリオに結構好きなタイプの作品が並んでました。「装飾の力」の時は(まわりも強烈なので)あまり印象に残ってなかったのですが、ちょっと気をつけてみようかな。

「没後200年記念 上田秋成」

平常展示館が工事中なので、新収蔵品展とセットになった「特別展観」という扱い。当然安いししょぼいし人もまばら。最終週というのに駐車場が(帰る時でも)空いている。特集陳列でももっと人気の催しがあったような気が、、、内容も書簡や著作物が主だから地味。さすがにゆかりの画家たちの作品は見せてくれるけどねえ。スタンプもらいに行っただけ(?)だからかまわないけどさ。

2010年8月27日

旅の終わり

さて、今度は荷物が積み込まれるのも確認したし、予定通りに飛行機は飛んだのだが、デリーでは空港のターンテーブルの前で1時間待ちぼうけを食らった。空港が大きすぎるのも確かだが、対応のまずさも際立つ。町に入ってからもいろいろと不手際が続いた。ホテルの件もそうだし、バスの運ちゃんはもうひとつ融通が利かないし(そもそもバスが大きすぎだし、チベット人のガイドさんは格下扱い)、この日の予定は(解説付きの)国立博物館見学だったのだが、時間がどうしようもなく足りず、ちゃちゃっと見てお終い。夕食はオートリクシャ(デリーからはいなくなったのかと思ってたけど、まだまだ現役)に分乗して移民街のチベット料理屋さんだったのだが、料理はおいしかったけど環境はハードだし、帰りはリクシャマンにも足元を見られて6人乗りはするし(いや、これはなかなか得がたい経験だけど)、1台は道を間違えてあさっての方に行っちゃう。最後に(当然ながら)真新しいターミナル3を尻目にターミナル2に向かい、搭乗手続きを行って出国審査を終えて待合室に入ってみて唖然。免税店はすでに新ターミナルに引っ越したらしく中央に広大な空きスペースが広がっていた。ルピーも残ってるしお土産も買い揃えてないし、これでいったいどうしろというのか。ラダックで頭が痛かったことにも、ラダッキではなくカシミール等のインド系の人々が関わってることが多かったけど、ラダックが桃源郷に思えるのもインド人がインド人だからかもしれないなあ。

2010年8月26日

今回の宿

さて、今回利用したホテルをざっと紹介。

デリーの2ヶ所は画像なし。初日の「セントール・ホテル・ニュー・デリー・エアポート」はその名の通り空港近くの飛行機待ちの客向けホテル。客の要求がはっきりしていて、それを忠実にこなすが他の事は期待できない。良くもないが悪くもないのだが、実はインドではほめてるんだったりします。最終日にデイユースで使ったのが「ヴィクラム・ホテル」。ここはある意味今回の最低の宿(いや、泊まってないけど)。きれいで居心地のいいホテルなんですが、とにかく表とバックヤードとの連携がまるでダメ。お茶だけのはずが料理が出てくるし、デイユースなのに外出から戻るとベッドメークしてあるし、困ったものです。でもまあ、そこがインドらしいといえばそれまでなんですが。
レーの「ナムギャル・パレス」。4泊しました。高山病でしんどいのも停電が多いのも宿のせいじゃないし、きれいだし料理はうまいし、いいところです。




やっぱり窓からの風景がいいですね。だんだん雲が増えてきてこの写真を撮ったころにはもうひとつだったけど、最初の朝の朝焼けは実に美しかったです。体調がよければなあ(荷物が届いてればなあ)。
アルチの「ジムスカン・ロッジ」。
2階(インドでは英国式なので1Fですが)はこの開放感がステキ。雲が多かったけど、星空はたいそうきれいでした。
この鍵が扱いが難しくて困ったけど。
最もインドらしい(?)ラマユルの「フォーチュラ・ゲスト・ハウス」。なんというか、いろんなところが実にいい加減。例えば、この写真の右手の窓枠には、
なぜか歯ブラシや歯磨き粉がばらばらに載せられている。外の小川で歯を磨くのか?家の中にも水はきているのだが。
階段もどう見ても作りかけ。
部屋のテーブルもこれ。ベッドも脚だけ見えてるけど同じ雰囲気。欧米人には「キャンプみたい」とかでこういうのが人気らしいが、だったら併設のキャンプ場に行けばいいと思うのだが。
どう見ても作りかけのバスルーム。ラダックではバスタブなどは見かけないのだが、ラマユルまで来るとシャワーヘッドはあるもののただの飾りで、下に見えているバケツにお湯をもらって足を洗うだけ。看板に「全室バスルームつき」とか書かれてもこれだもんなあ。まあ、事前のふれこみ通りだから腹は立たない(というか、らしくて面白い)んだけど。
高地なので朝は結構冷えます。ラマユルはとりわけ寒かったんですが、運転手さんたちは駐車場で野宿。これはまあ理解できるよね。
ところが、宿の人も裏で野宿してました。どうも普段は空き部屋で生活してるんだけど、この日はわれわれが全室使っちゃった(それでも相部屋がチラホラ)ので寝るところがなくなったらしい。なんというか、すごいなあ。

2010年8月25日

山本高樹

レーに着いた日に「Days in Ladakh」の山本さんに会う機会があった。

ラダックは長く「秘境」だったこともあり、関連する日本語の資料はそう多くない。10年近く前に出版された旅行人ウルトラガイド「ラダック」が、いまだに一番頼りになるガイドブックとして君臨している(というか、他に選択肢がない)くらいだ。で、なるべくフレッシュな本ということで入手したのが山本さんの「ラダックの風息」。もっとも、ブログは事前にチェックしていたものの、本の方は旅行のお供として買ったので読み始めたのは飛行機がザンスカールを越えてから。それでも、山本さんが来るよという話を聞いて本を持っていかなきゃと思う程度には頭の中に引っかかってたので、まだ手垢の付いていない本を持ってホテルのロビーへ。なんせ荷物が届いていないのでボールペンしかないなあと思ってたら、ちゃんと山本さんの懐からサインペンのセットが出てきました。先生ナイスです。「レーにて」って書いてもらうのを忘れたのはちょっと残念だったけど。で、本を読んでないもんだから何を話したもんだか困ったんですが、ラダックとの馴れ初めとか、ラダックのどこが素敵だとかいった話を伺った。後で考えたら、本を見れば書いてあることも多いんだから失礼な話だ。怒ったりしないで相手をしてくれて助かったけど。本は旅行中と日本に帰ってからと2回読みました。素材がいいことが一番だけど、出版の仕事をいろいろしてただけあってツボの押さえ方が的確で、また行きたくなっちゃいました。こちとらやわに出来てるから、ちょっと生活はできないと思うけど。

水害の前にトレッキングに行ってきますという記事があってから、予定日を過ぎても音沙汰がなかったので心配してたのですが、寸断された道路網を縫ってレーに戻ってきて、また活動を開始されてます。とりあえず、日本人の手になるものでは一番まともな水害のレポートが出てますので、興味があればご一読ください。気が向いたら義援金もよろしくね。

ニンム村

ニンム村の民家でティータイム。「民家」といってもザンスカール王家につながる家系の立派なお屋敷。
入り口は若干怪しげだが、
中には果樹園かと思うような林が広がり、小川が流れる。曲水の宴ができそうだな。
牛もひょっこり顔を出す。昼間はあらかた草を食べに出かけてるらしいが、残ってるやつもいるようです。

2階の回廊。床に開いた穴を覗くと、
そこは台所。要するに煙突なわけです。客間でのお茶会の後でちょこっと見せてもらうことに。




なんか桃源郷みたいだねえ。夏だけなんだろうけど。

おまけの写真。レー郊外の児童公園。右手の中国風の弥勒さん(?)がラダックで一番印象的な仏像(?)でした。近くで見るとまた違うんだろうけど、こういう遠目で一瞬しか見えないものって、妙に想像力をかきたてられちゃいますよね。

2010年8月24日

マンギュ・ゴンパ

ラダックの旅も終盤戦。ラマユルを出て最後のお寺マンギュへと向かう。今度は新道を通るので下から眺める、といってもまともに逆光なんですけど。
うんうん、西側はきれいだね。
道中あちこちで工事現場に出会う。のだが、これがまたいかにもインド的で適当な感じ。道路の構造もだが、幹線道路を塞ぐ形での工事なのに交通整理をする係員がいない。すべて現場のドライバー任せです。
ほぼ同じ現場を対岸から撮ったもの。これは雨が降ったら崩れるよね、さすがに。
橋が壊れたので応急処置、らしい。ノウハウは軍からきてるんだろうなあ。
さて、マンギュですが、ここも本堂は撮影不可。曼荼羅がいっぱいだったような気がする。

それでも仏塔の内部は撮影可。たしかリンツェン・サンポ。
千眼千手十一面観音
しゃあないので村の情景も、日陰を求めて団子になる羊たち。
二つある本堂の片っぽは屋根の工事中で入れず。
村を流れる水路は生活の場となっています。