2009年8月31日

HUNDRED-100円ショップの商品のみで作られる展覧会

これはもう、企画の勝利ですよね。商品の手抜き(?)を逆手に取ったジグソーパズルの作品とか、三股コンセントのタワーとか、楽しいものがいっぱい。材料の価格がはっきりしているだけに、値段のつけ方にも作家さんの考え方が反映されていて興味深い。あと、建物(かっての国立移民収容所)もステキ。いろんな作家さんが部屋をアトリエとして使用し、その様子を公開する。生活臭のないおしゃれな清島アパートですな。

1階ではミュンヘンから滞在製作に来ているクラウディア・ヴェーベルの作品展をやってました。これがまた、写真での印象とぜんぜん違うもので唖然。実物は(油彩なのに)水彩を思わせる淡い色調の絵で、これは印刷やさんが色補正をかけすぎ。現物を見てないと思い込みに振り回されちゃうんだよね。

2009年8月30日

「まぼろしの薩摩切子」

昔のガラスは不純物が多いため向こう側が多少ゆがんで見える。ヨーロッパのカットグラスは当時既にグラインダー研磨だが、日本の切子は手作業なのでなおのこと味わい深い。とりわけ紅色が美しい。絵葉書の写真など実物以上に(?)きれいなのだが、ちょっとうそっぽい。肉眼では細かいところが見えない(老眼が進んだだけ、かな)のだが、やっぱりライブだよなあ。

あ、展示物が入ってるケースは今のガラスの方がいいです。当たり前だけど。

2009年8月29日

京都大学総合博物館学術映像博2009

番組を選べないのがちょっと困るのだが、スケジュールは公開されてるんだから、ちゃんと調べて見たいものをやってる時に行くべきだよなあ。それなりには面白かったんだけど。早々に引き上げたのは空調が効きすぎていて寒かったせいもあるのだが、ある程度予想される事態なんだから羽織るものを持っていくべきで、ちょっと反省。

どっちかというと、特別展示の「広がる地図文化-京都大学地図コレクション-」の方が面白うございました。数は物足りないけど、お約束の京都の古地図など内容はさすが。ふだん意識しない秀吉の都市改造も、図面になるとなんとなくイメージがわいて来ますよね。

2009年8月25日

「理科室の音楽, 音楽室の理科」

少年少女科学クラブのインスタレーション。もう少しわかりやすくて派手な表現を期待してたんだけど、予想と違って参りました。これはこれで十分面白いんだけど、ちょっとねえ。

2009年8月24日

ルーヴル美術館展 美の宮殿の子どもたち

美術における子供そのものの表現、子供をテーマとに関連した表現を概観する試み、なんですが、いかに天下のルーヴル美術館といえども、扱うのはエジプト、中東からヨーロッパだけなんですよね(今回イスラム部門からの出展がなかったのも痛い)。こういうのは民族学系のコレクションを持ってきたほうが面白いと思うんだけど、それではメシが食えない、ってか。

2009年8月23日

堂島リバービエンナーレ2009

予想以上に重たい作品が多くて、面白いんだけど疲れました。笑いやくすぐりが入るのはアジ演説(最初に見たせいもあるだろうけど、これが一番面白かった)と一筆書きとビンラディンくらい。しかし、かのビンラディンでさえ日本で暮らせば堕落してしまうという問題意識は正しいんだろうけど、他の作品との間に横たわる峡谷の深さには眩暈がします。どっちがいいかと言われれば間違いなく日本人でよかったと答えますけど。そういえば、昨日ハンブルグで駅のベンチにキャリーバッグをくくり付けて近所に観光に行った日本人がいて、爆発物処理班が出動し1時間以上電車が止まったというニュースが出てましたけど、いまどきそういう行動するのは日本人くらいなんだろうなあ。困ったもんだねえ。

2009年8月22日

ホネホネサミット2009

もちろん一般のお客さんも入ってるんですが、参加者の情報交換が目的らしく、門外漢にも居心地のいいイベントでした。鉄ちゃんの即売会のノリですね。一般客としては、お土産コーナーがもっと充実してると良かったですね。チラシとか見てると予想以上にホネをテーマにした展覧会が組まれていて、今ちょっとブームなのかも。長居の展示も小学生でいっぱい。しかし、展示そのものはあまり親切ではなかったなあ。おもしろいし、きれいだし、主催者側の意欲はすごく伝わってくるんだけど、素人にはまず理解不能のクイズを並べるのはどうなんでしょう。

2009年8月21日

GREEN TOKYO ガンダムプロジェクト

お約束だと思うので、お台場のガンダムも見てきた。

予想よりずっとよく出来ていて、なかなかかっこいい。

さて、このガンダム基本動くのは首だけ。ライトが点滅し、白煙を上げながら首を左右に振るだけなのだが、最後にちょっとだけ空を見上げる。ここが一番歓声が上がるところですね。しょうもない動きを続けて観客の要求水準を下げておいて、ちょっとだけその上をいく。動物の芸なんかの基本の展開ですね。さすがに良くわかっていらっしゃる。

もっとも、会場に近づいて最初に見えてくるのはこの後姿。正面からは確かに「雄姿」でいいんだけど、こちらはむしろ哀愁が漂います。レインボーブリッジから望む、公園の木々の間から顔を出すガンダムも、猿の惑星の自由の女神に通じる終末の香りがします。プロジェクトの檄文では、ガンダムは「人類平和と緑あふれる都市東京の再生を呼びかけるメッセージを発信」することになってるけど、むしろ「最終戦争による都市文明の滅亡と緑あふれる地球の再生」を感じます。わしの心が病んでいるだけかなあ。

2009年8月20日

ゴーギャン展

これはヨメの方のメインなので、お金を払って入場(上野の2館は姉妹館の友の会特典でタダ)。名古屋で見るつもりだったのだが、ボーっとしてたら終わっちゃってたので東京で見る破目に。

派手に宣伝してる割には点数的にちょっと食い足りないのだが、大作を持ってきてるので仕方なさそう。その分、予想よりずっと空いててじっくり見れたしね。大画面でどーんより小品の方が好みかな。

近所でなんぞ食べるつもりだったのだが、お盆のオフィス街でたいがい休み。夕食を求めて東京をさまよう破目に。相変わらず、なんか抜けてるなあ。

2009年8月19日

「ル・コルビュジエと国立西洋美術館」

世界遺産になれなかった西洋美術館に行ってみた。敷地外にまではみ出した図面を描いてしまう建築家もいかがなものかと思うが、建物はさすがに面白い。中三階がどうなってるのか気になって仕方なかったが、CGを見て納得。というか、あの構造じゃあ大人数を上げるのは無理だよなあ。15人限定の建築ツアーもあったみたいだから、そっちに参加できればよかったんだろうけど。

松方コレクションが思いのほか良質で、ちょっとびっくりしました。明治の人は偉大だねえ。

2009年8月18日

「伊勢神宮と神々の美術」

(今度は迷わずに)東大に戻りバスで上野へ向かう。東博の伊勢神宮展。

見る前からわかってるんだけど、今回は平成館を東西に分けて2つの特別展を行っている。当然、点数は少なめで、ちょっと食い足りない。文献類が多いのもビジュアル的にもうひとつ。モノはいいんだけどなあ。

さすがにバテてきたので、鶴屋吉信さんで甘いものを補給してから次へ移動。

2009年8月17日

昭和少年SF大図鑑展 - S20~40'ぼくたちの未来予想図 -

今回の遠征のメインディッシュ、3館目にして初めてお金を払って入館する。戦後の復興期から石油ショックまでの時代に、子供向け雑誌の表紙や口絵、絵物語、漫画、そこから派生したプラモデルや文房具といった媒体で描かれた「未来」を振り返るという企画。当然のことながら楽しい。雑誌の口絵(特に大伴さんが関わっているもの)は見たことがあるようなものだらけだが、本の表紙になるとはっきり見覚えのあるものがちらほら。特に偕成社のSF名作シリーズ「宇宙怪獣ゾーン」の表紙原画にはちょっと感動しました。しかし、当時の雑誌記事とか今から見るとすごいよなあ。宇宙空間に網を張り宇宙船を捕獲する宇宙蜘蛛とかは(編集する側の大人にはお馴染みの)百鬼夜行とか地獄絵とかのパクリだし、危害を与えずにデモ隊を鎮圧するロボット機動隊(学生側も物陰に隠れて投石ロボットで応戦する、ロボット同士の戦い、しかも「機動隊」はまるっきりビックリドッキリメカで生き物の形態すらしていないのに、「投石」というスタイルにこだわるのはなぜ?)とかは落語の世界である。なんなんだか。

図録は本屋で売ってるし荷物になるからパス、のつもりだったのだが、2割引で売っていた小松崎茂の画集を買ってしまう。それじゃあ意味ないじゃん。

2009年8月16日

「鉄―137億年の宇宙誌」

東大に行くのもほぼ四半世紀ぶり。ウロウロしながら龍岡門からもぐりこむ。構内ではノーミスで博物館へ。硬い内容だが予想より人が多い。子供が目立つので、夏休みの自由研究のネタを仕込みに来ているのであろう。展示の内容は面白いのだが、若干食い足りない。もう少し広い空間がほしい(贅沢を言っちゃあいかんが)。それにしても、東大の博物館はタダなんだよなあ。お金があるっていいよね。

その後、安田講堂下の学食で昼食(さすがに安くてそれなりにうまい)。また道に迷って(弥生門がわからなかった)大回りしつつ弥生美術館へ。

2009年8月15日

四川美術学院現代絵画展

とりあえず宿に荷物を預けて飯田橋の日中友好会館美術館へ。開場直後に飛び込んだので閑散としていた。会場が分散していてわかりにくいが、日本語のやや怪しいお姉さんが親切に教えてくれる。パンダの人が楽しい。まあ、こういうイベントの情報が捕捉出来るんだから、ネットは便利だわね。

2009年8月10日

海宝

来年は上海万博が開かれ、大阪の動員記録を塗り替える予定になっている。不景気もなんのその町中いたるところ工事中だし、万博のロゴやスローガンも街にあふれている。ところが、公式マスコットの海宝の露出は意外と少ない。土産物屋でもまず見かけない。あれだけ議論を呼んだ「せんとくん」ですら奈良に行けば関連商品が売られているというのに、日本人にはちょっと理解しがたい状況だ。

ただ、この海宝、二次元ではそれなりなのに、三次元になると見るに耐えない代物。着ぐるみに対する愛が足りないのか、造形に奥行きがなく可愛げがない。公式ソングのお披露目の場でも(マスコットにとってもハレの舞台だと思うが)数だけは多いものの(だったらカラーバリエーションくらい考えろよ)動きがなってないし(胴と脚が「人」を模っているのはいいが、この位置関係が固定されているんだからアクターも動けるはずがない)、だいたい胴体と腕がつながってないなんてのは素人の大道芸でもありえない手抜きだ。中国の人々はこれをどう評価しているのだろうか。

海宝のサイトには近年の万博マスコットの一覧も載っているが、モリコロは孤高の存在だ。目指しているものが違うとしか言いようがない。これがジャパン・クールと呼ばれるものなんだろう。(昨日の結論とはまったく逆になるが)世界標準だぁ?笑わせるな。

2009年8月9日

バッテリーバイク

中国といえば自転車だったのは昔の話で、今の主役は日本でも(アメリカ村あたりで)話題になった電動自転車。

つまらない規制はないので、こがなくても走る本来の「電動機付き」自転車。当然日本では原付扱い。

街では自転車にエンジンをつけたタイプ(ペダルが付いている)の他に、スクータータイプのものが多数走っている。中国では(少なくとも都市部では)大気汚染の絡みもあってモーターバイクの新規登録は絶望的とかで、新しく二輪を始める人はすべて電動に流れる。一方、免許や車両登録は不要なので、もともと自転車の人も少しお金に余裕ができるとみんな電動に買い換える。ということで現在に至ったらしい。どちらのタイプの車両も運転者の意識としては自転車なので、歩道上をバンバン走る。ほぼ無音なので結構厄介で、マナーの問題もあってプリウスが静かすぎて危ないとかの比ではない。

実際の走行状況に比べると歩道に駐輪してあるのには普通の自転車が目立つが、たぶん盗難が多いためであろう。バッテリーだけ盗られる事も多いとか。今後は廃バッテリーによる環境汚染も出てくるのであろう。

しかし、価格的に中国市場に入り込むのはどうせ無理だけど、日本の電動アシスト自転車に国際競争力はあるのかねえ。世界標準とかけ離れた独自な進化を進めても、結局はiPhoneにおいしいところを持っていかれるだけだと思うんだけど。

2009年8月8日

染谷聡 個展 「御獣 ~おけもの~」

これはめっけものでした。染谷くん(別に面識もないけどギャラリーの人が染谷くんと呼んでいたので)はいちおう下絵を描いてから作品を作るそうなんだけど、この下絵がみうらじゅんを思わせるくすぐり満点のシロモノなのね。ところが、染谷くんがやってるのは漆工芸なのだ。下絵を基にどう立体化するかを考え、(いろいろやり方はあるだろうけど)裁断した発泡スチロ-ルに麻布を巻きつけ肉付けし漆を塗り削りだしていく、まあしんどい作業ですわね。作る前の段階でいろいろくすぐりのネタを考え自分の中でちょっとウケたりして楽しく制作に入る。それは良くわかるんですわ。でもねえ、手法が大変で時間がかかるのよ。やってるうちに他のネタを思いついたりもすると思うのよね。よくもまあこんなアホらしい(あえてアホらしいと言うぞ)モノを最後まできちんと仕上げるなあ。最近トシのせいか根性がなくなってなんでも途中で放り出してしまう(まあ、若い頃からそうだったが)オジサンはちょっと感動いたしました。こういう人がバイトをしなくてもメシが食える日本でありたいなあ。もう無理かもしれないけど。

生誕120年 野島康三展

会場でこれ見よがしにカメラを首からさげた若い娘を見かけた。どうせ場内では撮影できないんだからバックに仕舞っとけばいいのに、とは思ったけど、そもそもカメラが入りそうなものは持っていないのだった。シャッターチャンスを逃さないためには当然の心がけなんだろうなあ。ちょっと真似できないけど。

2009年8月7日

7/23 河坊街

最終日は基本帰国するだけなのだが、空港へ向かう前に河坊街へ。明清代の商店街「清河坊」を模したショッピングストリートだ。
平日の朝だし、暑いしで人影は少なめ。画面奥に電動オート三輪が走っているあたり、作られた街ならではの光景。のんびりお買い物、と言いたいところだが、観光用なのでお値段は高めで、粗悪品も多いらしい。まあ、あまり気にならないものを2、3購入。
中国では布袋さんが弥勒菩薩である。前日の飛来峰でも一番有名な仏像は布袋さんだったりする。リアル布袋さんもステキ。

さて、この河坊街に道路に面して白壁が続き店が見当たらない一角がある。街が整備されるずっと前からこの地で営業する漢方薬局「胡慶餘堂」だ。
わき道から中に入る。天井も高いし、採光も十分で中華風デパートの1階みたいなつくりだ。

この店を建てた胡雪岩は清代末期の人。金貸しの便所掃除から身を起こし、騎乗のまま紫禁城への入城を許されるまでに出世した清代の商売の神様だ。金融、不動産業から茶や絹の取引、武器売買、アヘンの密売まで幅広くこなし、最盛期には清朝の国家収入に匹敵するほどの財力を誇ったと言う。もっとも、そんな人でもあっという間に没落してしまうのがビジネスの世界。傘下の銭荘(銀行ですな)が破綻したのを契機にすべてを失ってしまう。それでも、経営者の代わった胡慶餘堂はその後も中国を代表する漢方薬局として今に至っている。ふと見ると、ガイドもなにやら買い物に来ていた。
さて、店の奥、かって工場や事務所であった部分は現在博物館として公開されている。2階は漢方医学に関する文献や資料が並ぶ。中国語表記しかないので予備知識がないと何のことやらわからないが、そこそこ楽しい。続いて1階へ降りていく。
1階にもいろんな展示があるのだが、大きなスペースを占めるのが漢方薬の原料の展示。ほとんど自然史博物館である。
前の2階から降りてくる階段の奥にもサイの剥製が飾ってあるのだが、中国にいる動植物は全部試したんじゃないかという勢いでサンプルが並ぶ。ちゃんと恐竜の化石まである。ほんと、人間の長寿への欲望は限りないなあ。
よく整備された中庭だが、飾られた植物はすべて薬の材料。まあ、旅の最後にふさわしい出し物ではありました。

2009年8月6日

7/22 郊外へ

午後は都心を離れ西方の山中へ。やってきたのは雲隠寺。山門はやはり見慣れた光景だ。
この寺の歴史は千三百年前に遡る。インドから来た高僧が寺の前にある岩山を見てインドから飛んできたことを見抜き、この地に寺を建てた。で、これがその「飛来峰」。おめでたい岩だというので、仏像がびっしり彫られている。仏像もだが、樹木も適当に育っていい感じ。

千家十職のひとつ、一閑張細工の初代飛来一閑は杭州の出身。雲隠寺で僧をしていたが、明末清初の動乱を避けて日本に亡命、千宗旦の知己を得て一閑張細工を創めた。日本には船で来たのだが「飛来」を名乗っている。当時の日本の知識人の間では雲隠寺や飛来峰というのは常識だったんでしょうね。
仏像はさすがに中国風だ。
境内の水のみ場。とにかく広い寺で、ろくに見ないうちにタイムオーバーとなる。まあ、時間がたくさんあっても午前中の出来事で胸いっぱいだから無駄だった気もするが。皆さんあまり興味なかったみたいだしね。
トンネルを抜けて龍井へ。宮廷でも愛飲された中国を代表する緑茶の産地。山中に茶畑が広がる光景は日本でもお馴染みだが、日本よりは植え方がいい加減かな。
農家(の経営するティーハウス)でお茶の試飲大会。当然お茶も買い込む。ただ、今手持ちのお茶っ葉がだぶつき気味なので控えめ。味も台湾の方が好みかなあ。
夜はオプションのナイトショーへ出かける。杭州の故事に基づく出し物だが、はっきり言って演出過剰でこなしきれず、つまらないミスも目に付く。北京五輪の開幕式を見ても、今の中国で受けるのはこういったスペクタクルなんだろうが、もう少し伝統文化を大事にして欲しいんだけどなあ。まあ、建国数十年の国にそんなことを言っても仕方ないんだろうけどさ。
千手観音。こういったひとつひとつの要素は面白いだけに、もったいない。

2009年8月4日

7/22 西湖湖畔

下船する。この日一番雲が切れていたのはこの頃で、お約束のピンホールを使った日食観察。

湖畔では日本のテレビ局が鶏を持ち込んでなにやら「大実験」をしていた。確認してないけど、「イッテQ」だと思う。まあ、結果は見るまでもないと思うが、、、
宋から明にかけて日本と大陸との文化交流はこのあたりが窓口になっていた。密教や禅も杭州や寧波を経て日本に伝わったし、寺院建築や庭園も源流はここ。そのためもあって、見ていてほんとに違和感がない。黄檗の萬福寺が中国風なのは確かにそうだが、室町期の禅宗寺院も(伝わった経路が違うだけで)実は中国風建築だということらしい。まあ、今回の収穫ですかね。
中国人がきちんとポーズをとらないと気がすまないのはこの地でも同じらしい。
日食のため西湖周辺には交通規制が引かれ、バスが戻って来れなくなったので歩いて雷峰塔へ向かう。道中で見た移動式の信号機。太陽電池で動いているようだ。中国恐るべし、ですな。
こういうのはほんとにかわいいよねえ。
雷峰塔に到着。この頃にはもう曇っている。ちなみに、昼食後は雨。この日の杭州には神がいたんじゃないの?
先代の雷峰塔は85年前に崩壊した。と言うとまた日本軍がどうとかいう話になりそうだが、実際は中国民衆の一途な思いが塔を倒したのだ。かって杭州では「雷峰塔の煉瓦を祀るとカイコがよく育つ」という伝承があって、皆さんこぞって手の届くところにある煉瓦を持って帰ったそうな。せめて上から順番に盗ればよかったのにね。で、この塔は今世紀になってから建てられたもので、地下部分には先代の塔の基礎部分がそのまま残されている。
外周は展望台。ここも日食のときは賑わったんでしょうね。
内部は仏伝や白蛇伝をテーマにしたレリーフがずらり。ちなみに、蛇の妖精は断橋の傍で突然大雨にあって困っていた時に、通りかかった人間に傘を借りて恋に落ちることになっているので、日食時に雲が切れたのは蛇の力ではなさそうです。もっとも、さらに千年修行して天候をもコントロールできるようになったと言われれば、それもありかと。

2009年8月3日

7/22 西湖湖上

当日も朝からどんより曇っていた。それでも皆さん朝から大忙しで、レストランの椅子が足りない事態に。ほぼ満室の上にほぼ同じ時刻に宿をたつ人ばかりだからどうしようもないが、郊外に向かう組が出て行った後でそそくさと腹ごしらえ。暗い気持ちでバスに乗りこむ。西湖(蘇提)に着くと朝イチよりは雲が薄くなってきて、太陽の位置はわかる程度に(まだ欠けてはいないが、形まではわからない)。果たして期待してもいいのやら。
ここだけ写真の順番が違っていて下船後に撮った写真なのだが、我々の乗った船。屋根の上の人影は奥に停泊している別の船のもの。ちゃちゃっと乗り込んで船尾のデッキを確保。写真でわかるように船尾側は屋根が端までかかっていて全天は見えない。日食の観察としてはどうかと思う(実際、星が出てるのに気付かなかったのもこれが効いていると思う)が、先に乗ったら奥まで行かないと仕方ない。もっとも、この時点では日食もまだ始まっていないし、デッキに陣取った人より空調の効いたキャビンに留まる人の方が多かった。この辺もお気楽なツアーだ。
とりあえず型どおりの湖上クルーズ。通常、西湖遊覧は40分ほどの行程だが、今回は湖を一周した後で第3接触まで湖上に停泊する2時間のコース。これだけでもお値打ちものではある。まずは西湖十景のひとつで、湖上の島にある「三潭印月」。月見の際に湖中の灯篭に灯を点す趣向だが、明るいときに見てもねえ。
湖の東には杭州の街。画像処理でコントラストを上げているが、実際にはもやが少しかかっていた。このあたりで第1接触を迎えたはずだが、どんより曇って何も見えなかった。
白提にかかる断橋。「断橋残雪」の舞台。白蛇伝の主人公が恋に落ちた場所とされており杭州の恋人たちの聖地、のはずだが、日食見物の人で埋まって風情もなにもない。まあ、これはこれでいいんですけど。
右舷から白提を望む。街から離れるにつれ人が少なくなるのは世の道理。
錦帯橋まで来るとこの程度。曇っているので皆さんのんびりしたもの。よく見ると奥の建物の屋上にも見物人が出てますね。
杭州は中国を代表する観光地だが、日本から訪れるとありふれた風景でどこがそんなに人気なのかわからなくなる。大陸にはこんな箱庭みたいな景色は少ないって事なんでしょうけどね。今回のガイドは杭州の人なので「もっと景色を見てくださいよ」と言っていたが、やっぱり空模様の方が気になる。太陽の写真は前に載せたから繰り返さないが、このあたりから時々雲が薄くなって、太陽の形がわかるようになる。初めは日食グラスなんか不要だったが、第2接触が近づくにつれポケットに手が伸びることが増えていった。
観光コースにも入っている「雷峰夕照」の雷峰塔。
蘇提にて。機材を持ち込む人は当然湖畔に三脚を立てる。もっとマジな人々は郊外の山の上に観測基地を設けていたらしい。
第2接触の直前に雷峰塔がライトアップされた。船の屋根にも明かりがともる。当然ながら空を見るのには障害で「なにすんねん」という気がするが、保安上仕方ないんでしょう。なんせ「日食観賞」ですから。この頃から上空の薄雲を残して雲が切れてきて、思いがけずダイヤモンドリングやコロナを見ることが出来た。雲が切れたのは街中だけで、郊外組はさんざんだったらしい。今年は流氷のときも天候が絶好で、さすがに運を使い果たしたと思っていたのだが、まだ残っていたようだ。もっとも、馬の成績は最低ですし、今回のツアーの面々、めちゃくちゃ引きが強そうなのが揃ってましたけどね。
実際にはこんな感じで見えてました。
杭州の夜景?

よく、日食を見ると人生変わるよ、とかいう話を聞くんだけど、はっきり言って何も変わりませんでした。たぶん、見る前から人生なんか変わっちゃってるんでしょう。同行の面々もそうだったんじゃないかな。

2009年8月2日

アジア太平洋フェスティバル2009

屋台はそれなりに出ていて楽しかったけど、ステージはエスニック臭が薄くてちょっと拍子抜け。よく考えたら、FMラジオ局の主催だから予算的にこんなものだわね。それでもゆるい雰囲気(タダだからねえ)と、南港をバックにしたステージ(背後を帆船が横切るわ関空へ着陸する飛行機は飛ぶわ別イベントのコスプレのお姉ちゃんが歩くわで賑やかなもの)は楽しめました。天気が回復したのも良かった。野外フェスばりにきちんと準備をして一日座っていれば楽しいかも。

白髪一雄展 -格闘から生まれた絵画-

白髪さんの作品はこれまで広い空間に数点あるような形で見てきたんだけど、今回初めて個人の回顧展という形で赤い絵具の塊が部屋中に広がるさまを見た。これはこれでしっくりくる。手法の知識もあってどうしても血の塊を連想させるので、もっとどぎついのかなと思っていたけど、意外とクール。猪の毛皮を貼りつけたキャンバスに描いた作品もあったが思いの他さわやかで、図録で見るほうがどぎついくらい。やっぱり、実際に並べてみないとわからないこともあるよね。あと、体を張るようになる前の作品というのを今回初めて見た。普通の抽象画を描いていて妙に納得。延暦寺で得度を受けたという話にも納得。

2009年8月1日

7/21 烏鎮

烏鎮は上海と杭州のほぼ中間にある水郷。黒っぽい建物が多いのをカラスに見立てて烏鎮と名付けたという。

古来江南の主要な交通手段は船である。上海の道路が微妙にうねっているのは、もともとあったクリークを埋め立てて道路にしたからなんだとか。烏鎮は二つの運河が交わる交通の要衝で、唐代に町がで宋代に大きく発展した。今の人口は1万人強だが、明代には7万を数えたという。水運で栄えた町だけに近代的な交通網からは取り残され、大きな戦乱に巻き込まれなかったこともあって古い町並みが今も残る。日本でもよくある話。

烏鎮は運河により4つの地区に分かれる。このうち、北柵と南柵には新しい建物も増えており、観光開発されているのは東柵と西柵。東柵が日帰り観光用で、宿泊施設が充実し渡し舟で乗りこむ西柵は滞在型のリゾート、ということらしい。当然ながら、我々が立ち寄るのは烏鎮東柵。





考えてみれば当たり前だが、運河に面している方が家の正面で、道路に面しているのは勝手口になる。連日大勢の観光客が押し寄せるというのに、住民はさして気にかけていないようだ。カメラを向けても特に気にしない。観光収入でかなり裕福と思われるので、これが中国の田舎だと思うと大間違いだろうが、庶民の生活を垣間見ることができる。

ちなみに、家の中はこんな感じ。

木彫博物館にて。中華文明の産物とは思えないが、キャプションがないためどういう事情で展示されているのか不明。

土産物屋の獅子はいただけないのだが、街中の獅子はどこで見てもかわいい。


建具も凝ってます。

ただ、この日もとにかく暑かった。上海だと炎天下を歩いたあとは冷房の効いた室内で一休みできたのだが、ここにはクーラーなんてものはない。ガイドも含めて徐々に口数も減っていき、倒れそうになりながら前へと進む。水辺に出れば涼しいかと思いきや、風がないからどうにもならない。たぶん船に乗ってもただただ暑いだけなんだろうなあ。

皆さん目的は「日食」なので、この天気が続いてくれることを願って烏鎮を後にしたのだが、天気予報どおり杭州に着くころにはどんよりした曇り空。カルフールを見つけてはいたのだが、明日に疲労を残さないよう自重する。