2016年7月31日

土日分まとめて

1945年±5年
あちらの世界?こちらの世界? @広島市現代美術館
(なんで兵庫で見てないのかはともかく)メインの展示も面白かったのだが、なんといっても地下のワークショップ・プロジェクト。ここの夏休み企画はいつも楽しい。とりあえず写真貼っとくので皆行くように(皆って…)。







堤展子展 生きもの♥やきもの♥かわりもの @西脇市岡之山美術館
最初の部屋から「やられた」って感じで、展示はもちろん素晴らしかったけど、やっぱり横尾さんのポスター、チラシがいいよねえ。

あの時みんな熱かった!アンフォルメルと日本の美術
七彩に集った作家たち @京都国立近代美術館
いきなり受付に座ってたお姉さんにはびっくりしたけど、企画展がらみで館内のあちこちにマネキンが立っています。夏休みだねえ。

きらめきを伝える 京都・美の系譜 @京都市美術館
KUO Chih-Hung 個展
藤原康博 個展 @モリユウギャラリー
7月あたりの堂東さんと桐月さんと宮田さん。
ドモンコス紀子 展 @ギャラリー恵風
8th スプラウトsprout @ギャラリー16
中山和也 キュレーション 「赤い車が走り抜ける」 @KUNST ARZT
3つくらいしか見つかんなかったけど(しかも見つけたところでなんなんだかわかんない)、それはそれでいいんでしょうね・たぶん。

梶木奈穂 個展 @ギャラリーモーニング
フライヤー見てこれはいかねばと思ったけど、やっぱり好き。壁に掛かってた作品を1点予約。しかし、こうしてみると「装飾の力」展ってホントよかったよねえ。

二瓶晃個展 ABRAXAS @アートスペース虹
朴善化展
成安造形大学イラストレーション領域4年田中ゼミ展 ハチトーブン @同時代ギャラリー
寺脇扶美 紫水晶からの手紙 @ギャラリーパルク
司修展 賢治の遊園地/「鳳仙花」原画展 @ギャラリーヒルゲート

最後はひどい雨になったんだけど、雨上がりにはきれいな虹が出ました。現場では気が付かなかったけど、二重になってますね。ありがたい。

2016年7月30日

ラカン・カルポ


ラカン・カルポはブータン最古の寺の一つですが、
思いっきり工事中です。
建物に目が入ってるのはちょっとネパールが入ってるのかな?お堂の中もなかなか立派でしたが、当然ながら撮影禁になっています。

巧緻はともかく、やってることは佐和山遊園のおっさんとそう変わらない気もしますね。
こちらはお供え物の残骸
アフリカの仮面、のわけはなく、お祭りで使うグル・リンポチェ八変化の骨組みだそうです。でもまあ、使い方は一緒かな。

2016年7月29日

初日の宿

前回はティンプー2泊、パロ2泊とバンコク2泊という日程でしたが、今回はハ1泊、ウォンディフォダン1泊、ポプジカ2泊(連泊ではない)、ティンプー1泊と機中2泊という日程。7/13の宿はハでは唯一といってよい外国人向けホテル、リスム・リゾート。
の前にパロで昼食を食べたレストランを紹介。

おいしいけど、機内食をきっちり食べていたためあまり食べられず。ちっとも学習していないな。
さて、こちらがリスム・リゾートの宿泊棟。
高台にあるので眼前にハの街が広がります。手前は最近できたというコテージ群。

客室。枕の上に掛かっているのは、なかなか立派なタンカです。向いのデスクには王室カレンダーが。標高が少し高い(2730m)ので、オイルヒーターが活躍してくれました。
ヒュンテ(ギョーザ)はハの名物で、ヒュンテ祭りなるものもあるんだとか。本来はそば粉で皮を作るようですが、最近は小麦粉を使うことが多いようです。
夕食はお約束のビュフェですが、オフシーズンでお客さんほとんどいなかったようなので、スタッフみんなで食べるのかなあ。
朝は霧が立ち込め(というか、雲がここまで降りてきたってことかな)、これはこれでいい雰囲気。

朝ご飯は注文制。何も考えずに卵とフレンチトースト頼んだけど、かぶってますがな。

2016年7月28日

わかりにくい写真で申し訳ないが、谷の向こう側に並ぶ三つの山がハのシンボルの三連山。北(右)から金剛手、観音、文殊の三菩薩を表しています。
ハの街の南方に広がるインド軍の基地。ハ・ゾンも現在はインド軍が使用している。ガイドのリンチェンさんは「インド軍が道を作ってくれたのでお礼に提供した」と言っていたが、、、
ブータンはチベット文化圏とはいえチベットとは宗派が違うので仲が良かったわけではなく戦争もしていたのだが、それでも国の玄関口は北のチベット側だった。中国のチベット侵攻で潮目が変わり、以降はインドとの結びつきを深めている。ハの北の山岳地帯には中国・ブータンの国境紛争地帯があり、インド軍はその抑えとして駐留しているし、チェレラ峠の道も空港のあるパロとハを結ぶ軍事的な意味合いも強く、そもそも2001年までハは外国人立ち入り禁止だった。
かってブータンと英国領インドとの間で戦争があり、とりあえず英国が勝ったものの全面勝利とはならず(いかに英国軍の装備が勝るとはいえ、山岳地帯でのゲリラ戦になったら勝てないわな)、ブータンが平野部に持っていた領地を英国に引き渡し代わりに英国が毎年補償金を支払うことで講和が結ばれ、その保証金は今もインドが払い続けているそうな。ブータンの最大の輸出商品は(水力発電による)電力で、当然すべてインド向けだし、第二位は外国からの援助だけど、これもインドが最大の相手国。17年前も今も道路工事をしてるのはインド人だし、ダムをつくってるのもインド人。インドからすれば、シッキムのように併合してしまうのは難しいにしても、ブータンはインド軍の通行を認めてくれるから道さえ作っておけば中国に対しての抑えになるし、デリーの大気汚染が世界最悪と言われる(悪評高い北京より汚い)中でブータンの水力発電は魅力的だ(自国の領地は水没しないからねえ)。
そんなこんなで、ハはパロから近く道路も整備されているのに訪れる外国人は少なく静かなところです。
これはハの郊外だけど、チェレラ峠の路面はもう少し良好です(幅はこんなもの)。恐ろしいことにストリートビューで確認できるので、興味のある向きはどうぞ。
ハの外れの農村。この辺りは最近洪水があったとかで、重機やブルーシートが目立ちます。
かってのゾンはインド軍が使ってるので、こちらが現役の役所。国王の写真はお約束です。
アーチェリーはブータンの国技です。もともとブータンの弓道は130mほど離れた的を射るもので、用具が洋式になってもそれは踏襲されています。オリンピックに出場したブータンの選手が「的が近すぎるから当たらない」と言ったのは(事実かどうかは知らないけど)有名な話。
さて、ハの町を歩いてみます(小さな町だからすぐ終わるんですけどね)。
かって栄えた街道筋でもあり、立派な家が並んでいます。もともとはブータンでは板張りの屋根が多かったようですが、政府の指導もあって今はトタン屋根が主流。
吉祥紋にもいろんなパターンが、





今でも先代の方が人気なのかなあ。



馬の顔、の山

最近は自前の映画産業が育っているそうですが、やっぱりインドの影響が強いのかなあ。

街を抜けると対岸へのつり橋が。昔も今も橋はことごとくお経で飾られています(飾りと言ったらまずいのかな?)。あちこちで橋がなくお経だけが川をまたいでいるところも見かけましたが、人が渡れないだけであれも橋なのかな?
子供達の人気はやっぱりサッカーだとか。