2010年7月31日

Paramodel 個展 「パラモデルの世界はP」

おなじみのMORI YUさんですが、今回初めてギャラリーのスタッフに会いませんでした。やっと客の仲間に入れてくれた、のかな。ギャラリーの建物にもちゃんとクルマが付いているのがウケました。それにしても、西宮であれだけのことをやっていて、まだネタがあるのがすごいよねえ。

堀江美佳 「Pig Story」

世界の街角で豚の面をかぶる作者の写真が並び、実際に豚になったり戻ったりする作者がいて、展示風景を記録するカメラマンがいて、なかなか面白い空間でした。このあと実際に鉄棒にぶら下がるパフォーマンスがあったみたいだけど、疲れてるのでパスしました。ちょっと残念だけど、この手のはカメラを持ち歩いてないとなあ。

「Trouble in Paradise/生存のエシックス」

プレスリリースを見ても何をやるのかさっぱりわからなかったのですが、実際に展示を見てもやっぱりよくわからない。こちらの頭が固いのか。未開の地を見つけて芸術の旗を立てればなんでもアートになるのかな。アートって言葉の定義にもよるんだろうけど、もともと科学の側にいた人間としてはちょっと複雑。もうちょっとがんばって自分たちの旗を立てないと予算がなくなっちゃうよ。まあ、それでも展示はそれなりに面白いんだから、よく出来ていると評価するべきなんでしょうけどね、たぶん。

「ロトチェンコ+ステパーノワ ロシア構成主義のまなざし」

取っ掛かりの二人の自画像が印象的。年を経るにつれて芸風も少しずつ離れていったのだが、初期の自画像は驚くほど似ている。でも、別に途中で仲が悪くなったわけでもないんだよなあ。作品ももちろん良かったけど、この二人の生きかたとか、時代や社会とのかかわりとか、いろんなことを考えちゃいますよね。

鉄板

今日ラダックで買った巻きスカート風のズボンをおろして穿いてたら、一日と持たずにお尻に穴が開いちゃいました。予想通りとはいえ、やってくれるなあ、インド人。

2010年7月30日

ピャン・ゴンパ

グル・ラカンから眺めたピャン・ゴンパ。
門の上には法輪。
空の青さが眩しい。この日はほんとにいい天気でしたが、この後はだんだん雲が増えてきて、ここまでのきれいな空にはお目にかかれませんでした。この時点では「ここは毎日こんな天気なのかな」と思ってたんですけどね。


極彩色のルンタを見るのは初めて。
先ほどのお堂と違って、ここは生きているお寺でお坊さんもちゃんといる。生活臭たっぷりだが、見どころはもうひとつかも。
帰るころには日もすっかり傾いていました。

2010年7月29日

グル・ラカン

夕刻より寺院めぐりがスタート。最初に向かったのは、Old Phyang 近くの山腹にある小さなお堂。
祠の麓には例によってチョルテンが並び、タルチョがはためく。
火葬場もチラホラ。右下の彩色されたものは身分の高い人用らしい。
で、こちらが目当てのお堂、グル・ラカン。
もうひとつ上の山上にもお堂(城?)の跡がある。
海抜は3600mを超えており、ちょっと登るとすぐに息が上ってしまう。
魔よけの水牛の角

山上から村を眺める。
ここの壁画は後から考えると非常に出来のよいもの。もっとも、最初なので比較するものがないし、懐中電灯も足りないし、息は苦しいしであまり印象に残らず。
ご本尊様。
ピャン・ゴンパから眺めるとこんな感じ。ずいぶん山を登った印象だったが、山頂までの2割も登ってないことがわかる。なかなかしんどい世界だわ。

2010年7月28日

街を歩く

デリーに着くのが遅かったので寝不足の上、軽症の高山病でぼーっとするが、休んでても適応できないのでレーの街をぞろぞろ歩く。
チベット圏では街の中でも風は経を読む。

市場の品物は豊富だが、聞いたところでは今年はスリナガルとの道路が一時封鎖された影響で品揃えはもうひとつだったらしい。
屋上のガーデンレストランは外国人で一杯(わしらもお茶にした)。

街のパン屋さん。
道は旧市街へと進む。

玄関の上に掛けられているのは魔よけらしい。
別に被災地でもないのだが、手ごろなものは何でも建材として利用する。

街を貫くマニ石。

広場にはクリケットを楽しむ人々。こうしてみるとここはやはりインドだ(ラダッキではなく出稼ぎのインド人かもしれないが)。

露店で下着と靴下、雑貨屋で歯ブラシを購入する。荷物の遅延は保険事故なので手続きをすれば保険金が下りるのだが、露店で値切りながら買い物をしてレシートが出るわけもないし、物価を考えると申請する手間の方が惜しいので、今回も保険は役に立たなかった。この時はさほど真剣に考えていなかったのだが、結果的に無くて困ったのはリップクリーム。一晩で唇がぼろぼろになりました。乾燥してるもんなあ。

2010年7月27日

レーへ

翌朝、国内線用のターミナル1(改装後で比較的きれいだが、ブリッジはなくバスで飛行機まで移動)からジェットエアーのB737に乗り込む。ザンスカールの山々を越えてラダックへ。

山を越えると雪も少なくなり、乾燥した山肌が広がる。地層の褶曲が結構目に付く。インド亜大陸は今日もユーラシアに潜り込んでいるんだねえ。
「ラ」は峠、「ダク」は多いという意味だそうで、ラダックというのは峠がたくさんあるところ。わしらにとっては高地だが、周囲の地形を見ると盆地である。ブータンと同じでそこらの山には名前などないが、峠にはすべて名前が付いているらしい。現地での生活にとってはそっちの方が大切だよなあ。
さて、小さな空港の割に荷物が出てくるのが遅いし、ちょっとずつしか流れてこない(いっぺんに流そうにもコンベアに載らないけどね)のでボーっと待ってたら、わしらの荷物が出てくる前にベルトが止まってしまい「お終い」の声がかかる。いきなりのインドの洗礼。後で聞いたところでは、同じ便で大量の医療用コンテナが運ばれていたようで、個人の荷物は後回しになったらしい。それならそれでもいいから先に教えてくれよ。待ってる時間はいったいなんだったのよ、まったく。
ザンスカールの山越えは気流の関係で早朝しか飛べないので、一日手荷物だけで過ごすしかない(陸路だと数日かかる)。しかし、昔は一泊分の荷物は機内に持ち込んでたものだけど、テロ対策で規制がきつくなってからはほとんどのものが預け荷物に入ってるんだよなあ。薄暗い寺院で壁画を見る為の必需品(それ以前に停電時の必需品)の懐中電灯も、電池が機内に持ち込めないためスーツケースの中だ。これでいったいどうするんだよ。

2010年7月26日

デリーへ

今から20年以上前に初めて飛行機に乗って(エンジンの回ってない飛行機には乗った事があったが、さすがにカウント外だよね)出かけたのがインドだったりするので、今でもある意味「海外」のイメージはインドだったりする。あれやこれやあってインド領に乗り込んだのは今回が二回目。前の時はビザを取るのにも苦労したが今回は旅行社任せ。エアインディアの機体も、窓のシェードがずり落ちてくるおんぼろB747からエコノミーにも個別モニタが付いたB777に変わっていた。さすがに20年もたつとこんなものか。しかし、関空便が東(南)アジア経由なのは相変わらずだし、CAの客を客と思ってない横柄な態度は昔のままだ。まあ、国営航空のCAはエコノミーの乗客より上位カーストなんだろうから仕方なかろう。機内食はなかなか旨かったが、これはこちらの嗜好が変わっただけかも。

デリー・インディラ・ガンジー国際空港は7月15日に国際線用の新ターミナルがオープンしたはずだった。記念式典もあったらしいし、1番機も飛んだ。のだが、着いたのは旧ターミナルの方。式典の期日がきたので仕方なくオープンさせたものの、工事はいまだ終わらず引っ越せないらしい。いかにもインド的な対応。街に出ると黄色い街灯にオートリクシャの群れ。行きかう車は新しくなり、ちゃんと洗車してあるものも多くなったが、デリーから駆逐されたはずのサイクルリキシャの姿もチラホラ。まあ、インド人はインド人てことでしょう。巻き舌の英語も昔のまま。実は今回初めて教えてもらったのだが、サンスクリット語では「r」は母音なんだそうだ(しかも2種類あるらしい)。それであの発音になっちゃうのか。これが今回一番勉強になった事柄だな。

(注)ラダック用に「チベット」ラベルを作っても良かったんだけど、「インド」で対応することにしました。

2010年7月25日

森毅

若い頃に京大を選ぶ決め手になった人たちが次々に死んでいくなあ。もっとも、普通に考えたら、そろそろこっちが若い人に夢を与える仕事をしないといけないんだろうけど。

復帰しました

普通は海外にいても日本のニュースはそれなりにチェックできるのですが、今回は現地のテレビすら(停電で)満足に見れない状況ですっかり今浦島です。そのうちボロが出るかと思いますがご容赦を。

2010年7月16日

お知らせ

しばらくネット環境のないところに行ってきます。

2010年7月11日

シッポがない30周年記念集会

駅から会場に続く道沿いの店はかなり入れ替わってたけど、たどり着いてみればおなじみの勤労会館(当時は5階の青少年会館だったけど)。いつもの人やら四半世紀ぶりの人やら面識のない人やらいるんだけど、まったく気にならずにスッと話に漬かってしまう居心地の良さはあの頃のまま。直前になって関東方面からの参加者が増えちゃうフットワークの軽さもそのまま。これで道を誤っちゃったのは今でも納得するしかないなあ。メンバーはすっかり年をとって、丸くなったり尖ったり後退したりしてたけどね。皆様ありがとうございました。次があるのかどうか知らんけど、またお会いしましょう。

美しき挑発 レンピッカ展

日程的にちょっと無理かなと思ってたんですが、ギャラリー棟での開催だから作品も少ないだろうと踏んでスケジュールを調整し会場へ。読み通りの時間配分ですんで大満足でした。作品は、抽象画とかはさすがに疑問があるけど、古典的な作風のものも含めて面白うございました。でも、一番良かったのは本人(の写真)だなあ。全盛期もだけど、おばあちゃんになってからのポートレートが素敵。中間を抜きにすれば、ああいう年寄りになるのもいいよね。時代に裏切られて鬱病になるのは勘弁して欲しいけど。

2010年7月10日

ART OSAKA 2010

関西を代表する現代美術のアートフェア「ART OSAKA」。ありがたいことに招待状をいただいたのでのこのこ出かける。お客さん多い。今日は晴れてたからいいけど、明日は雨の予報だから傘の取り回しが大変だろうなあ。梅雨時にやらなくてもいいのに(もっとも、オンシーズンにホテルでのフェアってのも無理があるけど)。作家さんは皆さん達者で面白い。気に入った作品も結構ありました。三尾姉妹、こだま美瑠兎、徳持耕一郎、ノ・ジュン、田内万里夫、三宅砂織、中原浩大、資料もらった中ではこのくらい(あ、わざわざ資料もらってないけど染谷さん)なのだが、作品は印象に残ってるのに資料がない作家さんも結構いました。ただ、ホテルで見るとかっこいいけど、我が家において映えるかというとちょっとねえ。当然だけどお値段もそれなりだし。今年は既にいろいろとお金を使っちゃったので見送り。

中川雅文 展

これはハガキの印象よりずっと良かった(と書くってのは、ハズレもあったってことだが)。気に入った小品(踊る宇宙人?)もあったのだが、アートフェアに行く予定なので見送り。

「GALLERY'S RECOMMENDED YOUNG ARTISTS」

帝塚山画廊のグループ展。近く個展をやる作家さんの顔見世のようです。やっぱ住吉さんの作品がかわいい。

「パラモデルの 世界はプラモデル」

7月4日まで公開制作になっていたので、ぼちぼち完成してるかなと思ったらまだ製作中でした。始めちゃうときりがないんだろうなあ。カメラは持ち歩いてないので、ケータイの画像でご勘弁を。
おなじみのプラレールの部屋もあるんですが、最近の街を駐車場に見立てる構想の作品とか、図面だけは見たことのある水道管のインスタレーションとか、新しい切り口の作品が目立ちます。
こちらは回転寿司のインスタレーション、なのだが、ベルトコンベアに載せるかわりに升目の中において花天井を思わせる展示になってます。
太巻きとか玉子とか、荷台に収まりきれないネタがかわいい。
押入れの中にこの仔のアニメーションもありました。前足やお尻からいろんなものが出てきます。
もちろん屋外にもパラモデルワールドが。晴れてて良かった。

2010年7月6日

梅棹忠夫

みんぱくの初代館長のイメージが強烈なのだが、もうひとつ挙げれば「京大式カード」。「知的生産の技術」は結局読まなかったが、カードを使う機会はそこそこありました。ただ、結局使いこなせずやめちゃったんですよね。このあたりが大学に残れない原因なんだろうなあ。

2010年7月3日

「鷲尾惟子が紐解く ウイグル音楽とシルクロードの調べ」

風さんのレクチャー。みんぱくでやってるようなのを予想してたら、もう少しだけくだけた会でした。まあ、旅行会社の宣伝なんだから当たり前か。しかし、この「ウイグル音楽探訪 踊るシルクロード6日間」というツアー、すっごく楽しそうだよなあ。ツアーの告知が出てからでは休みが取れないので、どうにもならないんだけど。というわけで、今年は用意してあった夏休みと日程がびたっと嵌ったラダックツアーに行ってきます。

「インド・仏教美術の流伝」

大谷大博物館は初めて。雨の中、入り口を間違えてえらい目にあった。後で見たら、地下鉄の出口の横が入り口じゃん。やれやれ。内容は、、、ちょっと食い足りないかなあ。個人のコレクションだから十分立派なんだけど、ここから何か別のものが見えてくるような見せ方ではない。まあ、仏教美術の流れを掴むための展示だから、素直に見ればいいだけだし、期待は外してないんですけどね。ちょっともったいないかも、と。

2010年7月1日

北へ(5)

3日目はさすがに雨。ちょっとだけ時間があったので十和田湖まで足を伸ばしてみる。展望台から湖を見るが、、、霧で何も見えない。まあ、風情があるといえなくもないが。湖畔に下りて観光船に乗り込む。
悪天候、朝一のうえ、奥入瀬に向かわず休屋に戻ってくるコース。一番小さな船が桟橋で待っているが、乗り込んだのは我々だけ。おおーっ、貸切かよ。と思ったら出向間近に家族連れが乗船。しかし、スタッフの方が多いんじゃないの?
水墨画の世界の中を行くクルーズも面白いといえば面白いけど、やっぱり天気のいいときに来ないとねえ。

さて、この後、見通しの利かない中を大館能代まですたこらさっさ。バタバタしながら搭乗口に入ったら、機材のトラブルで出発が2時間遅れました。先に言ってくれればゆっくりお昼食べたのになあ。