2011年8月14日

東京へ

今、美術の力で —被災地美術館所蔵作品から—
台東区コレクション展 @東京藝大美術館
不勉強なので東北の作家さんって知らないのだ。今回、斉藤隆さんの作品を見て「すげー」と思ったのだが、検索しても野球の斉藤さんの情報に埋もれちゃうのよね(あの人も東北だけど)。

孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本
空海と密教美術 @東京国立博物館

特別展はどちらもそれなりに見ごたえありました。お金払っても損はしません。でも、今回一番よかったのは久しぶりに入った法隆寺宝物館。正倉院展クラスの宝物がズラリなのに空いててじっくり見ることができます。空海展の混雑はなんなの?って思っちゃいますよね。まあ、立体曼荼羅の中に入るのは東寺に行っても無理だし、東京の人はいつでも見られるからどうでもいいのかもしれないけど。

MITSUKOSHI×東京藝術大学 夏の芸術祭 次代を担う若手作家作品展 @日本橋三越本店
全部は見てないけど(学長の作品くらい見に行けばいいのにね)、1階の動物コーナーがよかった。

名和晃平─シンセシス @東京現代美術館
名和さんというとビーズしか思い浮かばないのだが、今回一番面白かったのは「GLUE」(次いで「LIQUID」)。結局、作品の意味とかはどうでもよくって、その場で楽しめるかどうかだけが価値判断の基準なんだよなあ。鑑賞基準としてはどうなのよ、とは思うけど。

しかし、東京まで来て東寺(高野山)、法隆寺、名和晃平か。なにやってるんだか。

2011年8月13日

路上の風景

ラオスではやたらとバイク事故を見かけた。路上のバイクの数で言えばベトナムなんかの方がずっと多いのだが、、、ちなみに、路上の木の枝は発炎筒の代役で、事故現場以外に工事現場などでも活躍します。というか、木の枝しか見かけない。カラーコーンくらい用意したらいいのにね。
現場検証の様子。このケースはたいしたことにはなってないみたいだけど、残骸から血まみれのライダーが引きずり出されるのも見かけたからなあ。
公共交通の主役は三輪タクシー。ラオスでもタイと同様にトゥクトゥクと呼ばれる。バイクを改造したものが一般的。メーターはないので乗る前には交渉が必須。


まあ、いろんなのがいますね。
今回お世話になったツーリスト・カー(とドライバーのリュウさん)。街を走る車は、ざっと見たところ韓国車が最も多く、日本、中国、欧州の順(欧州車はたぶん中国製)。日本車の場合、右ハンドル向けの設計になってないのが難点。日本の中古車のハンドルを付け替えただけで走っていると思われるが、運転席側からしか乗降できないハイエースに外国人旅行客を乗せるのはさすがに危ないので、ヒュンダイが無難な選択。
ルームミラーから仏様がぶら下がっています。交通安全のお守りなんですが、
未舗装の凸凹道を走るときは仏様がゆらゆらして気になるので、ドライバーが右手で抑えます。どう考えても交通安全に逆行しているのだが、いいのかなあ?

2011年8月12日

公園

飛行機のチェックインまでの時間つぶしで、メコン川沿いの公園へ行く。
市民の憩いの場。トレーニング器具が置いてあったりします。一通り試してみましたが、順番待ちが必要な程度には人気していました。

右手に見えるのがラオス一の高層ビル。高級ホテルだそうです。
で、こちらはアヌ王の像。19世紀はじめにタイからの独立を企てたが逆に鎮圧されたビエンチャン王国最後の王。タイでは(日本におけるシャクシャインの如く)ちっぽけな反逆者だが、ラオスでは(当然のことながら)英雄視されている。ビエンチャンでは銅像を4つ見かけたけど、アヌ王、(タート・ルアンの項で写真を紹介した)セタティラート王、シーサワンウォン王(フランスから形式的に独立して成立したラオス王国の王、ルアンパバーン国立博物館の項で紹介)、ファーグム王(ラオス最初の統一政権、ラーンサーン王国の建国者)と王様ばかり。レーニン像とかあっても良さそうなものなんだけど、国民感情的に社会主義より王制のほうが治まりがいいのか、ラオスがより強大だった時代へのノスタルジーなのか、よくわかりませんわ。
こちらは公園からメコン川の上流方向を見たところ。護岸工事の最中で、今から整備をしていくようです。
対岸はタイのイサーン地方。ガイドブックなんかには「タイ領の方が賑やか」とか書いてあるけど、私の目には夜のメコン川の両岸は同程度の明るさに見えました。もっとも、片や一国の首都、片やただの田舎町だから国力の差は明らかですけどね。で、先ほどのアヌ王はイサーンの方に向かって手を差し出してます。わかりやすいですねえ。
怪しげな雲が広がってますが、空港に向かう直前から豪雨になりました。でもまあ、雨季にしては雨に祟られずにすんだいい旅行でした。ありがとう。

2011年8月11日

タラート・サオ

さてこの後、郵便局に行ったり国立博物館に行ったりしてるのだが、写真はありません。博物館は撮影禁止でした。この博物館、なかなか面白いんだけど、国の威信がかかってる割には空調が壊れてます。やっぱりラオスって貧乏。展示内容は先史時代から始まってラオスの歴史(最後の方は人民革命党の歴史と現在)を教えてくれるんだけど、あの頃はわしらの国はこんなに大きかったんだぜ、みたいな内容でちょっと笑える。フランス植民地時代の展示では、メコン川西岸のこことここをシャムからぶんどった、みたいなことを偉そうに書いてあるんだけど、あんたそれはラオスじゃなくってフランスの力だよ。あと、ほとんどのキャプションがラオス語のみなのも残念。結局は子供たちに愛国心(党への忠誠心)を植え付けるための装置でしかないんだろうなあ。
さて、タラート・サオは「朝市」と言う意味。もちろん、朝市だったのは昔の話で、今は夜まで営業してます。何でも揃うけど、お値段はちょっと高め。曲がりなりにも首都だからね。
こんなに焼いてもちゃんと売り切れるんだろうなあ。

2階には貴金属店が並んでいるんだけど、この店だけ人だかり。なんでかなと思ったら「ここのは純金だからね」とのこと。よく見ると確かに他の店は18金って書いてある。やっぱりラオスって貧乏。
CDショップ。主流はVCDのようでした。

ガイドさんが村で配ってたのがこの世界地図が表紙のノート。ブランド品なのか?
神様のプロマイドの替わりに政治家のプロマイドを売ってます。
宝くじ屋
結局、ラオスでの支払いはドル紙幣だけで済んでしまい、キープへの両替はしませんでした。びみょーにぼられてる気はするけど、残しても仕方ないからなあ。

2011年8月10日

パトゥーサイ

パトゥーサイは「凱旋門」の意。そのまんまだが、もともとは内戦時代に戦没者慰霊塔として建設が始まった。設計はフランスが担当。なんともフシギな建物である。

階段を登っていくと内部は土産物屋。現政権は戦争博物館にする構想らしいが、構想だけで実現する気はないらしい。
うちわには笑った。ええ、買いましたとも。
最上階にはこの螺旋階段を登っていく。
まだ未完成なんだそうだが、窓枠や床を見てると、完成を待たずに廃墟になっていくような気が、、、
南側、ラーンサーン通り。周囲は官庁街だ。
北側。まあ、眺めはいいわな。他に高い建物はないし。
タート・ルアンが先っちょだけ見える。
それにしても、この装飾はなんなんだろう。
フランスは何を考えてこんなもの造って、
ラオスは何を考えてこんな使い方をしてるのか。
あんまり考えてないだけかも。

2011年8月9日

タート・ルアン

大きな広場の奥にそびえるタート・ルアン。高さ45m、外壁の一辺85mの大きな(=ルアン)塔(=タート)。そのまんまのネーミングですね。タイやビルマだと金箔を貼るんでしょうが、ラオスは貧乏なので金色に塗るだけ。ちょっと侘しさも感じます。
塔の前に鎮座するセタティラート王。この人がエメラルド仏をラオスに持ち込んだ人物。ラオスとチェンマイの王を兼ねてたんだからラオス最盛期の王様だが、王妃に統治させていたチェンマイは内紛が続くところをビルマにつけ込まれビルマの属国に。ビルマから逃れるためビエンチャンに遷都し、アユタヤから王妃を迎え同盟を結ぶもそのアユタヤもビルマに飲み込まれビエンチャンも陥落し、しまいにセタティラートが没するとラオスもビルマの属国に。それでも国の英雄なんだよなあ。がんばれラオス。
写真屋さん。昔はポラロイドだったんだろうけど、今はデジタル一眼で撮影してインクジェットプリンターで印刷。
放生会屋さん。写真屋と放生会屋は掃いて捨てるほどいた。シーズンオフなのでおしなべてヒマそう。


塔の周りを回廊が廻る構造。
中に入れるような記事もネット上で見かけたけど、このときは周りを一周しただけで登檀は出来ず。
タート・ルアンは3世紀に仏舎利を納めるための塔として建てられた、とされている。当時の姿を再現したのがこれ。高さは3mほどです。
排水溝がかわいい
例によって回廊には仏像がずらり
予想よりだいぶチープだったけど、それなりに楽しいね。