2011年2月20日

ピーア・デ・トロメイ

京芸大学院のオペラ公演。数を数えると86年の大学院設置から毎年やってるらしく。今年が26回目の公演になる。前々から気にはなっていたのだが、スケジュールが合ってようやく出かけることになった。

さて、この「ピーア・デ・トロメイ」、ドニゼッティの1837年初演のオペラ。こちとら不勉強でドニゼッティすら知らないのだが、このオペラ自体も日本での初演が2007年というマイナー作品。制作者が人気がない原因を「地味である事、内容が救いようのない程暗い事、作曲の冴えが今一歩至らない事」と言ってしまう代物です。ただ、大学の公演としては(そもそも比較対象がないから)お金をかけなくても見劣りしないのはメリット。まあ、こちらも眼の肥えた客ではなく、オペラなんてもの初めて見るんだから、なんでも納得して帰るんだろうけど、、、

ホールに入るとミュージカルの時と同様に最前列に陣取りました。オケがピットに入りきらず前方座席を畳んで陣取っており、高低差があまりないので指揮が見えなくなるのを防ぐため1列めは立ち入り禁止として黒い幕をかけてあり、2列目が最前列。とはいえ、指揮者の頭が邪魔で舞台中央が見えないという素晴らしいロケーションです。字幕を見るには首を大きく振らねばならず面倒なので手を抜いてたら、わけのわからない話がますます難解になっちゃいましたが、そんなことは些細な事で堪能しました。声楽の院生はソロのある役を一通り与えられるため、土日の公演は基本別キャスト。主役級は一回の公演中でも別の人に替わっちゃったるするんですが、ほとんど気になりませんでした。顔がしっかり見える席でこれだから、たいていのお客さんには問題なかったんじゃないかな。

しかし、この話、よくわかりませんわ。ピーアは確かに不貞を働いたわけじゃないから無実の罪といえばその通りだが、実の弟とはいえ夫と敵対する勢力の中心人物の脱獄を手助けし密会、現場を取り押さえられそうになると弟の逃亡を助けるため(相手の身元について)口をつぐむのは、不貞なんかよりよっぽど罪が重いと思うのだが。夫も弟もどちらも大事なのはわかるけど、関係修復に努めるわけでもなく何も言わずに死を選ぶのはどうなのよ。どちらにつくにせよ(どちらにもつかないにせよ)ピーアが立ち位置を明確にしていれば、ギーノはやけになって死んだりしなくてもよかったはずなのだが、これが聖女扱いになるのがキリスト教的価値観なんでしょうか。よくわからん。

まあ、でも、みなさん歌がおじょうず。演出もよくできてます。オケがほとんど女性だったのは意外といえば意外ですが、それを思うと声楽はちゃんと男声がたくさんいてよかったですね。パート毎に定員があるんだとは思うけど。

出口で担当の先生が募金集めをしてたけど、初めから有料にすればいいのにね。引っ越してきた当時は近隣住民対策として必要だったと思うけど、これはタダで見せるもんじゃないです。大学も独立行政法人になるんだから、独法化すると予算が減って困るとかいったマイナスの議論をするだけじゃなく、市の顔色を窺わなくてもある程度勝手に(かつ迅速に)お金が使えるというメリットを活かす議論をしてもらわないと。

(追記)
気になって(ネット上で)いろいろ調べると、やっぱり男声は人が足りないため、オケに関係なくて歌がうまければ声楽以外の学生も出演させていたようです。そりゃまあ、そうだよなあ。

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