2016年7月28日

わかりにくい写真で申し訳ないが、谷の向こう側に並ぶ三つの山がハのシンボルの三連山。北(右)から金剛手、観音、文殊の三菩薩を表しています。
ハの街の南方に広がるインド軍の基地。ハ・ゾンも現在はインド軍が使用している。ガイドのリンチェンさんは「インド軍が道を作ってくれたのでお礼に提供した」と言っていたが、、、
ブータンはチベット文化圏とはいえチベットとは宗派が違うので仲が良かったわけではなく戦争もしていたのだが、それでも国の玄関口は北のチベット側だった。中国のチベット侵攻で潮目が変わり、以降はインドとの結びつきを深めている。ハの北の山岳地帯には中国・ブータンの国境紛争地帯があり、インド軍はその抑えとして駐留しているし、チェレラ峠の道も空港のあるパロとハを結ぶ軍事的な意味合いも強く、そもそも2001年までハは外国人立ち入り禁止だった。
かってブータンと英国領インドとの間で戦争があり、とりあえず英国が勝ったものの全面勝利とはならず(いかに英国軍の装備が勝るとはいえ、山岳地帯でのゲリラ戦になったら勝てないわな)、ブータンが平野部に持っていた領地を英国に引き渡し代わりに英国が毎年補償金を支払うことで講和が結ばれ、その保証金は今もインドが払い続けているそうな。ブータンの最大の輸出商品は(水力発電による)電力で、当然すべてインド向けだし、第二位は外国からの援助だけど、これもインドが最大の相手国。17年前も今も道路工事をしてるのはインド人だし、ダムをつくってるのもインド人。インドからすれば、シッキムのように併合してしまうのは難しいにしても、ブータンはインド軍の通行を認めてくれるから道さえ作っておけば中国に対しての抑えになるし、デリーの大気汚染が世界最悪と言われる(悪評高い北京より汚い)中でブータンの水力発電は魅力的だ(自国の領地は水没しないからねえ)。
そんなこんなで、ハはパロから近く道路も整備されているのに訪れる外国人は少なく静かなところです。
これはハの郊外だけど、チェレラ峠の路面はもう少し良好です(幅はこんなもの)。恐ろしいことにストリートビューで確認できるので、興味のある向きはどうぞ。
ハの外れの農村。この辺りは最近洪水があったとかで、重機やブルーシートが目立ちます。
かってのゾンはインド軍が使ってるので、こちらが現役の役所。国王の写真はお約束です。
アーチェリーはブータンの国技です。もともとブータンの弓道は130mほど離れた的を射るもので、用具が洋式になってもそれは踏襲されています。オリンピックに出場したブータンの選手が「的が近すぎるから当たらない」と言ったのは(事実かどうかは知らないけど)有名な話。
さて、ハの町を歩いてみます(小さな町だからすぐ終わるんですけどね)。
かって栄えた街道筋でもあり、立派な家が並んでいます。もともとはブータンでは板張りの屋根が多かったようですが、政府の指導もあって今はトタン屋根が主流。
吉祥紋にもいろんなパターンが、





今でも先代の方が人気なのかなあ。



馬の顔、の山

最近は自前の映画産業が育っているそうですが、やっぱりインドの影響が強いのかなあ。

街を抜けると対岸へのつり橋が。昔も今も橋はことごとくお経で飾られています(飾りと言ったらまずいのかな?)。あちこちで橋がなくお経だけが川をまたいでいるところも見かけましたが、人が渡れないだけであれも橋なのかな?
子供達の人気はやっぱりサッカーだとか。

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